2010年7月14日(水) 17:16

柳田國男『海上の道』

柳田國男は晩年『海上の道』を著しロマンに満ちた日本人先祖の仮説を発表。大陸南部から稲作技術をたずさえた人々が宮古島、琉球諸島から北上した。彼らは貨幣となるタカラガイを求めた    ▼ 先島の先史時代は日本の縄文・弥生時代に相当するがその影響を受けていない。むしろ南方的要素の強い文化だ。土器を作る時代と作らない時代に大別され、宮古島では前者は未確認。シャコガイ製の貝斧が多いのが特徴   ▼時代は紀元前700年ごろから紀元後200年ごろまで約1千年海岸砂丘地に生活する。その後、約1千年の空白期間があり、1100あるいは1200年ごろ、人々が宮古島に定住、現代まで続く   ▼マーク・ハドソン教授(西九州大学)を中心に島尻南嶺の長墓遺跡の発掘調査を行っている。6年目になる。大腿骨などの人骨、貝斧、サメ歯に穴を開けた有孔製品、イモガイ科を平たく円盤状に加工した製品などが出土する。時代は紀元後430~735年ごろとされる。1千年の空白期間内にある   ▼ハドソン教授は3日「長墓遺跡からみる宮古島の歴史」を講演、興味ある考察を示した。「先島先史時代人の起源は縄文ではなく、東南アジアの人々である。言葉はおそらくオーストロネシア語である」。しかし「他のオーストロネシア人と違って、農耕をしていない。他との交易がない」という違いがある   ▼長墓遺跡は浦底・アラフ遺跡などとは違い内陸部の斜面にある。居住空間とは考えにくい。今後調査に待つ。