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2010年10月14日(木) 15:34

今昔物語「在沖下地郷友会」/玉元江美子

ペン遊ペン楽2010.10.14
今昔物語「在沖下地郷友会」/玉元江美子


 「来年は子年(昭和23年生)が郷友会の役員になるから総会に参加せよ」と突然の電話。「在沖下地郷友会定期総会」なるものが開催されるという。これまで、たびたび郷里の先輩諸兄から郷友会活動の楽しさや大切さについて聞かされてはいたが、今一つその気になれなかった。

私の故郷宮古島。とりわけ下地町(旧)への郷愁はだれにも負けないつもりなのに、郷友会=お年寄りの集まり、と勝手に思い込んで敬遠していたが、内心傍観者でいる自分に負い目を感じていたことも確かである。もうそんな歳?役員?と自問自答しながら「枯れ木も山のにぎわい」で参加した。会場にはすでに80余名の老若男女の下地人が集う。各部落のなまり懐かしの方言が飛び交い、時折大笑いありの和やかさだ。「ウワ トウヤリャー(あんたはだれか)」「誰たちとブーリャか(同期生は誰たちか)」「して、あんた今、何をしているか?」「母ちゃんはガンジュウしているか」等々矢継ぎ早の質問攻めにあう。


 生まれ育ったふる里が下地町または同じ部落という共通項ですべてが包含されて、自然に心の扉が開放されるこの不思議さ。
 昔は作業着姿の集団がオトーリで酒を酌み交わし、宮古方言でバミキテ(大声で)盛り上がる様は沖縄の人からはかなり異様に映り「ミャークンチュ」と敬遠されもしたが、今は、こんなに上品になって(?)、われわれ宮古人は一目も二目も置かれるようになり堂々と宮古を主張するに至った。


 アララガマ精神と同胞としての結束の要となる郷友会を結成して50余年の歳月が過ぎた。しかし、年々参加者は減少の一途をたどり、併せて高齢化と組織力の衰退は否めない。存続がおおいに危惧されている。どうするべきか。
 「芋と裸足の世代が郷友会を支える下限だよ」「宮古丸や八潮丸で沖縄に来た世代まではどうにか大丈夫じゃないか」。確かにそうかもしれない。芋を主食にしていた時代も船酔いをしながら泊港に着いたあのころの話もはるか遠い昔の出来事になった。みんな貧しかったけれど隣近所助け合い、村の子供たちは兄弟のように育ち、喜怒哀楽を共にした。幼いころの思い出はあのころ泥んこになって遊んだ隣の兄さん姉さんや友達、隣のおじさんおばさんたちの生活と共にある。小学校のガジュマルの木の下でゴム跳びをした。前浜で月夜の晩に陣取り合戦をした。旧平良市で世界一おいしい「古謝そば」を食べて映画を観て町営の「映画バス」で帰ったときのドキドキ感。「学事奨励会。郡の運動会等々。


 40~50年ぶりの再会なのに話題は尽きない。懐かしさで一足飛びにふる里のあのころに戻る。人生の歴史が重なる仲間が集う郷友会。当然のことで、私たちの島はもう昔のままではない。でも、郷友会にはいつまでも変わらないあのころ、あの時のふる里の情景が、生活が、今に生きてよみがえる。時の流れとはいえ消したくない「郷友会」。
 忘れかけていた宝物を見つけたようでついスキップしたくなるさわやか一日であった。


 (宮古ペンクラブ会員・那覇市母子生活支援センターさくら施設長)玉元 江美子