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社会・全般
2010年11月23日(火)9:00

当時の同窓生の子孫探す/県女子師範学校1期生

親戚が肉筆原稿公開/大浦出身の故砂川マヂル


故砂川マヂルの遺作品の肉筆原稿を手に情報を呼び掛ける砂川幸吉さん=20日、平良東仲宗根の自宅

故砂川マヂルの遺作品の肉筆原稿を手に情報を呼び掛ける砂川幸吉さん=20日、平良東仲宗根の自宅

 明治時代の沖縄県女子師範学校1期生として入学した故砂川マヂル(1892-1913年)=平良字大浦出身=の肉筆原稿の随想「我が家」を、砂川幸吉さん(55)=平良字東仲宗根=が21日までに、本社に初めて公開した。随筆からは家族への温かい愛情が読み取れ、立身出世の夢に向かって決意が述べられている。


 マヂルは1892(明治25)年3月15日生まれ。18歳の時、下地カマドさん、下地カナさんと一緒に公費生として、1910(明治43)年に同学校本科女子部に進学した。私費生には奥平カマドさんがいた。マヂル以外の3人の年齢はつまびらかでない。同い年ではなかったかと推定されている。

 1908(明治41)年、特別町村制が施行され、平良間切などは村、村は字に改められた。2年後、マヂルらは優秀な人材として選抜され、公費生として入学した。
 随筆は、入学した10年11月24日に脱稿。旧漢字や歴史的な仮名遣いが美しい筆字で書かれ、国語力の高さをうかがわせている。

「私は田舎が大さう好きでごいます」と始まり、大浦集落や家族を紀行文的につづっていく。遠く離れた沖縄本島から、家族の苦労を気遣ったり、楽しかった一家団らんなどを回想するる。さらに学業に研究錬磨して立身して、立派な国家有為の人物になりたいと大きな夢を描く。

 体調を崩していたマヂルは、13(大正2)年7月10日、息を引き取った。享年21歳。
 一緒に入学した3人は、どうなっただろうか。「宮古教育誌」に同姓同名の2人が記されている。13(大正2)年の久松小学校代用教員の奥平カマドさん、14(同3年)の平一小学校訓導の下地カマドさん。

 幸吉さんは「マヂルさんの情報を知りたい。当時一緒に入学していた奥平カマドさん、下地カマドさんと同一人物であれば、子孫の関係者が連絡してほしい」と呼び掛けている。
 連絡先は、砂川幸吉さん(携帯090・5389・4727)へ。


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