2011年3月13日(日) 9:00

「家族の無事知りたい」/宮古在住の東北出身者

募る不安、連絡取れず


 「家族の無事を確認したいが、手段がない」「海岸沿いに住んでいる親戚と連絡が取れない」-。東北沖で11日に起こった巨大地震。宮古島に住む東北出身者は、テレビの映像に息をのんだ。電話が不通となり、家族や親戚、知人らと連絡が取れない人も多い。「どうか無事でいてほしい」。遠く離れた宮古島から不安は募るばかりだ。


 平良下里で飲食店を営む柿沼繭司さん(31)は、津波の被害が大きかった宮城県仙台市の出身。地震直後、弟から被害状況を知らせる電話が、母からはメールが届いたがその後、全く連絡が取れなくなった。「どういう状況になっているのか。家族が今、実家にいるのか避難所にいるのかも分からない」と不安げ。「宮城ではこれまでにも地震は何度かあり、近いうちに大きな地震があるのではとの話もあったが、これほど大規模でしかも津波までとは…」。柿沼さんは、宮古に住む東北出身の知人たちと連絡を取り合って情報交換をしている。「とにかく家族の無事を確認したいのだが、今は確認する手段がない。詳しい状況を知りたい」と話した。


 岩手県宮古市出身の成ヶ沢靖子さんは、友人と連絡が取れない状況という。「宮古港での津波の映像はショッキングだった。一人でも多くの人が無事でいてほしいと願っている。何もできない自分がもどかしい」と語った。


 5年前に移住した福島県会津若松市出身の小椋由美さんは、地震直後は家族と携帯電話がつながらなかったが、夜になってようやく無事を確認し安堵したという。「地震発生時の状況を家族に聞くと『とにかく揺れがすごかった』と話していた。実家でも水道が使えず、水を購入しているらしい」と顔を曇らさせた。海岸沿いに住んでいる親戚とはまだ連絡が取れていない。


 宮古島海上保安署長の栗谷美則さん(56)の娘3人は地震発生時、それぞれ東京、横浜、栃木にいたという。


 当時、宮古島地方には津波警報が出されており、栗谷さんは保安署の態勢を固めていた。ちょうどその時、二女がメールで無事を知らせてきた。また、夜12時前にはもう一人の娘から電話があり、3人の無事を確認した。「電話がつながらず心配したが、とにかく無事で良かった」と胸をなで下ろしていた。


 平良に住む伊良部和則さん(58)は、宮城県に姉の杉浦キヨ子さんが住んでいる。電話で連絡は取れなかったが、しばらくして山形県に住む姉の娘から「母は大丈夫だから安心して」と連絡があった。「ホッとしました。でも自宅の被害状況は分かっていない」と心配している。


 平良下里に住む天野誠さん(51)は、地震発生時の11日午後、横浜の家具屋で突然の揺れに見舞われた。音楽関係の仕事で訪れていたが「長くとても激しい揺れで、本当に怖かった」と恐怖の体験を振り返った。


 交通機関がまひしており、仕方なくレンタカーで宿泊先の東京新宿に向かった。8時間以上掛かったという。「新宿は人であふれ、どこのコンビニにも食品はなかった。携帯電話は通じないし、メールもインターネットもだめだった」と話した。