04/20
2024
Sat
旧暦:3月12日 友引 甲 
社会・全般
2011年5月21日(土)9:00

戦時中の過酷さ体感/ハンセン病市民学会フィールドワーク

避難壕やトンネルを見学


園を追い出された入所者が小屋を建てて暮らしていた雑木林について参加者に説明する上里さん(右手前)=20日

園を追い出された入所者が小屋を建てて暮らしていた雑木林について参加者に説明する上里さん(右手前)=20日

 2011年ハンセン病市民学会第7回交流集会in名護・宮古島の宮古島交流集会の一環として20日、宮古南静園付近の海岸などで、戦時中に入所者らが避難生活をした自然壕などを見学するフィールドワークが行われた。参加者たちは実際に壕に入ることで当時の状況の過酷さを目の当たりにした。


 海岸壕コースや園内コースなど、数グループに分かれ実施されたフィールドワーク。海岸壕コースでは、同園ボランティアガイドの案内で戦時下の避難場所だった二つのトンネルと、小屋を建てて多くの入所者が暮らしていた雑木林、「ぬすとうの壕」と呼ばれるロープを伝って登らなければ入れない壕などを見学した。

 交流集会で講話した上里栄さんもボランティアガイドとして参加者に当時の様子を説明。小屋を建てて暮らしていた雑木林では「火をたくと煙で居場所が分かってしまうので煮炊きは別の場所でしていた。普段は小屋で過ごし、飛行機の音が聞こえるとみんなでトンネルに避難した」と語った。

 「ぬすとうの壕」は、もともとは近隣集落でコレラに感染し亡くなった人を風葬にしていた場所で、上里さんらが避難生活のため入ったときには人骨があったという。上里さんは「人骨を横に寄せ、石と草を敷いて寝床にしていた。毎日、水をくんで登るのが大変だった」と説明した。

 北海道から参加した長坂貴之さん(38)は実際に壕を見て「こんな劣悪な環境で戦時下を耐えなければいけなかったとは想像を絶する。あまり知られていないことなので、こういう問題があったことを広めていかなければいけないと思う」、東京から参加の宮崎信恵さん(68)は「壕で生き延びた人のことを思うと言葉にならない。追い込まれても生き抜いた療養所の人のすごさを感じた」と感想を語った。


記事の全文をお読みになりたい方は、宮古毎日新聞電子版のご購読をお勧めします。
まずは2週間、無料でお試しください。

無料試読お申込み

すでに購読中の方はログイン

カテゴリー一覧

観光関係

2024年4月17日(水)8:58
8:58

専用ターミナルが完成/ビジネスジェット

CIQ施設も設置/下地島空港   三菱地所は、県が推進する下地島空港および周辺用地の利活用事業の一環として「下地島空港における国際線等旅客施設整備・運営およびプライベート機受け入れ事業」の一つとして、下地島空港周辺にビジネスジェット専用施設「みやこ下…

2024年4月7日(日)8:54
8:54

海岸ごみ「ほっとけない」/500人参加しビーチクリーン

「第3回ほっとけないプロジェクト~海辺のミライをみんなで守ろう」(主催・同プロジェクト実行委員会)が6日、新城海岸で行われた。宮古島海上保安部やボランティアサークル、空手道場など各団体のメンバー、家族連れ約500人が参加しビーチクリーンを実施。発泡スチロールや…

ID登録でパソコン、タブレット、スマートフォンでお手軽に!