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2011年6月4日(土) 23:20

手をつなぎ共に生きる社会へ

ハンセン病と人権市民ネットワーク宮古


県外含め200人余が参加した市民学会=5月20日、宮古南静園公会堂

県外含め200人余が参加した市民学会=5月20日、宮古南静園公会堂

 らい予防法廃止15周年・ハンセン病国賠裁判勝訴10周年を記念して、5月20日、ハンセン病市民学会が宮古南静園(新城日出郎園長)で行われた。県外からも人権問題にかかわる150人余が参加して、入所者や退所者の抱える問題を共有し、共に生きる社会のあるべき姿を模索した。受け入れたのは同園自治会(宮里光雄会長)と人権市民ネットワーク宮古(亀浜玲子代表)。市健康増進課や市社会福祉協議会の後押しで、市民ボランティアの皆さん100人余が、さまざまな部所で生き生きと対応していた。



太平洋戦争で壊滅状態となった南静園。入居者は、海側から入る自然壕(ぬすとぅぬガマ)で避難生活を送った。ボランティアの介助で、壕に入る参加者

太平洋戦争で壊滅状態となった南静園。入居者は、海側から入る自然壕(ぬすとぅぬガマ)で避難生活を送った。ボランティアの介助で、壕に入る参加者

 2005年に設立された全国ネットワークの市民グループ・ハンセン病市民学会は、毎年5月に交流集会を開催しており、今年は7回目で沖縄大会として宮古南静園と名護愛楽園で開催された。宮古での大会テーマは「ハンセン病と戦争を考える」。この日は、全体会の後で、戦跡などを訪ねるフィールドワークや上映会、朗読会などが行われ、最後に郷土料理や舞台による芸能を楽しんだ。


 宮古南静園が開所したのは1931年。これまで1400人が入所している。現在の入居者は90人を割った。平均年齢も82歳を越え超高齢の域に達したいま、偏見、差別による被害の歴史を語り継いでいくことも困難になってきた。国の隔離政策によって人権を否定された多くの犠牲者の悲劇を風化させることなく語り継いでいくために、2009年からボランティア養成講座が実施された。これまでに約60人の市民が受講、修了証書を受けたのは28人。今回の市民学会で実際にガイド活動を始めた受講者もいた。


 沖縄大会が決まったのは一年前。16年前から宮古南静園と関わってきた「あんなの会」(現・砂川洋子代表)は、市民学会を宮古島交流集会として捉え、あらゆるボランティアに積極的に関わった。砂川代表は「1991年に発足したあんなの会が、南静園を知るきっかけとなったのは、親子戦跡巡りだった。それまでほとんど知らなかった園の状況を知るにつけ、何とか多くの人たちに分かってほしいと思い、2000年に『戦争を乗り越えて』という証言集を作った」と話し、以来ことあるごとに同園の入居者や退所者らと手を携えて活動してきた。


 今回、市民ネットワークの代表を務めた亀浜さんは、あんなの会の初代会長。宮古大会を成功させるために、多くの市民にボランティアを呼び掛けた。「宮古南静園に関心をもってもらうことが大きな狙いだった。実情を知ってもらい、今後そうしたことが起きないよう語り継いでいくために」と話し、それぞれが、できることで参加してほしいと呼び掛けたのだった。


 こうした企画が功を奏し、当日は、受付を始め、南静園証言の朗読ボランティアやフィールドワークの壕での介助、救護班、園内コースのガイドたち、交流会での会場設営・舞台演者・ステージ係、終了後の配車や送迎まできめ細かな対応が、来島者を喜ばせた。