宮古毎日新聞(電子板)の試読はこちらから|宮古毎日新聞社

2011年9月26日(月) 23:04

台湾疎開(行雲流水)

 1944(昭和19)年7月7日、日本政府の緊急閣議で南西諸島から老幼婦女子を疎開させることを決定した。この決定に基づいて沖縄から台湾に疎開した人は約1万人で、宮古からの疎開者が最も多く、全体のおよそ半数を占めた。戦争が終わって、宮古関係の帰還がほぼ完了したのは1946年5月だとされる



▼この「疎開」を包括的にまとめた『台湾疎開』(「琉球難民」の1年11カ月)が松田良孝によって、八重山で出版された


▼第1部「疎開」では、石垣から台湾へ疎開し、帰還した3人の体験をもとに、公的な記録を用いて適宜解説を加えて、台湾疎開の全容を記述している。食料不足とマラリアに苦しめられた生活はどの疎開地でも共通している。引き揚げの途中、栄丸が遭難し、100人余の命が失われるという悲惨な事故も起こった。疎開が老幼婦女子を守るというより、戦争遂行のためのものであったことも状況と資料が明らかにしている


▼第2部では、疎開地や引き揚げ港の現在の様子と、現地への行き方が詳しく説明されている


▼第3部では、敗戦で政府が行政能力を失った中で、「台湾沖縄同郷会」が結成され、疎開者の早期帰還を台湾当局に直接要請したことや、中華民国側が公式の帰還船を運用するまでの経緯を取りあげている。宮古では、終戦の翌月、真栄城徳松を組合長とする疎開引揚組合が結成され、石原雅太郎は直接台湾に渡り、ともに疎開者の救済に尽力した


▼疎開の実相を改めて見つめさせる労作の出版を喜びたい。