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企画・連載私見公論
2011年10月21日(金)22:10

新企画・私見公論②シルバーで知恵の輪 人の輪 社会の輪

棚原 惠照(たなはら けいしょう)

 

棚原恵照

棚原恵照

 オゴイ! ドゥガサミマイ カツカニウティ、ノーユガ新聞ンカイ カカッチャー。
 これが宮古毎日新聞社真栄城会長から、執筆依頼を受けたときの気持ちである。しかし、提示された「私見公論」の話を聞かされ、私なりに感ずるものがあり、恥ずかしさもかえりみず受けてしまった。


 さて、今月は全国シルバー人材センターの普及、啓発促進月間であります。「ノーユガ アンチアスヤー」という声が聞こえてきそうである。知恵の輪 人の輪 社会の輪を月間標語と定め、高齢者多様な社会参加ニーズに対応するには、就業機会の提供から、ボランティア活動の社会参加や能力開発など幅広い機能を備えた。地域における「働く高齢者のワンストップサービスセンター」を目指すため、地域の人々や行政等に対し、シルバー人材センターの活動や意義について宮古地域に周知、宣伝を行う。


 1950年代末期、大型台風の連続的襲来で生活も困り、高齢者の仕事もなく世の中が厳しい時代があった。沖縄が本土へ復帰する前である。その頃は日本政府、アメリカ民政府からの補助金で市町村財政がなされていた。
 1950年代末期から1961年頃まで日本政府補助金で失業対策事業が実施された。その頃、宮古には建設業者は少なく、市が直接事業を進めることになり、高齢者を中心に雇用された。平良市の農道、里道等が全体的整備、補修されたのも失業対策事業の成果である。しかし、高齢者の就労状況は必ずしも良いことばかりではなく、一般の人々からはとやかく言われることも多々あった。従って昔の失対労務者と現在のシルバー人材センターの会員をダブらせてみる人もいるのかもしれない。でもそれは大変間違っている。いまや全国のシルバー人材センターの会員は78万人を超えた。


 沖縄県シルバー人材センターの会員は5755人で、受注契約金額は23億6000万円に達している。ちなみに宮古島市シルバー人材センターの会員は203人で、受注金額8000万円余であるが、市からの発注額が減少傾向にある。いまや昔の失業対策事業とシルバー事業とは全く違っている。
 昭和55年、故大河内一男元東京大学学長が「喜寿(77歳)祝うに足らず傘寿(80歳)いまだ青春」と書き、全国シルバー人材センターの初代会長に就任された。「自主・自立・共働・共助」の精神をモットーに全国に会員がシルバー事業に励んでいる。


 平成4年、平良市の下地米一市長は全国の動きを察知し、市民のためにシルバー人材センターの必要性を痛感し同年10月、平良市シルバー人材センターを設立した。設立からの10年間は、行政主導で助役が理事長を兼務していたが、現在はシルバー人材センター理事11人の互選により理事長の選任を行っている。シルバー人材センターの会員になれば必ず就労しなければならないということではなく、60歳になれば誰でも入会できる。
 宮古島市シルバー人材センターには互助会もあり、三線の好きな人、踊りの好きな人、カラオケの好きな人、月に2回楽しく、明るく、アマイトゥバライトゥを振り回しやっている。また、グラウンドゴルフの愛好会もある。


 国からの財政的締め付けも厳しさを増しているが、これまでの社団法人から、来年4月からは公益法人に組織変えになる。財政的運営方法が変わるが、仕事はこれまで以上に心を込めて会員一同頑張るよう張り切っている。家、庭掃除、畑仕事等はもちろんのこと、先祖供養のための墓の清掃、一人暮らし高齢者の軽度生活援助事業も市の介護長寿課と連携して行っている。会員互助会も活発で、アンチウイキャヌ ミヤーク。PPK(ピンピンコロリ)かNNK(ネンネンコロリ)か、老後は自分では予測できないもの。シルバー人材センター会員の近況等と含めて次の機会に…。


棚原惠照(たなはら・けいしょう)
 1938年生まれ。宮古島市(平良)出身。宮古高校、名護英語学校卒。59年平良市役所入り。65年平良市議会議員に初当選、三期務める。80年給食センター長、社会課長、都市計画課長、企画室長、福祉部長を経て、99年平良市役所を定年退職。


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