2011年12月24日(土) 22:56

苦言、提言、ホラ吹き (2)/棚原 恵照

地域住宅計画(HOPE計画)によるその後の街の変化

私見公論⑫


 昭和58年度から当時の建設省は、全国の自治体を対象に地域住宅計画(HOPE計画)を始めた。この計画に沖縄県内では名護市が全国で9番目で指定された。その内容や状況等について、昭和63年、県都市計画課で知った。HOPE計画(ホープ計画)は、(1)地域の特性を踏まえた質の高い居住空間の整備、(2)地域の発意と創意による住まいづくりの実施、(3)地域住宅文化、地域住宅生産等にわたった広範住宅政策の展開を目的とした事業である。ところで、平良市は昭和63年、「第二次平良市総合計画」を策定していた。その内容は「自然と産業と人が共生できる潤いと活力に満ちた産業文化都市」を目指すことを基本理念としていた。従って、HOPE計画の内容と平良市の総合計画の目指すことが、あまりにも合致していることに驚きと心の躍動をおぼえた。これからの平良市のためにHOPE計画は逃すべきではない。私は、まさに飛びついた。県都市計画担当職員と数回にわたる協議を重ねた結果、昭和63年度建設省から指定を受けることができた。



 平成元年、「平良市地域住宅計画(HOPE計画)策定委員会を設置し、広範囲の検討を重ねた結果、平成3年、事業が進められることになった。この事業は平良市民運動実践協議会(現宮古島市)の進めているクリーン グリーン グレイシャス運動ともうまくリンクして予想を上回るほど市民に理解され、住環境づくりに良い結果をもたらしている。しかし、不心得者もいて緑の中に空き缶、空き瓶、たばこ等を捨てたりしている所も見受けられる。また飲食店をしていながらその店の前の雑草を全く取らずにいる人もいる。あきれるばかりの感覚であり、こんな所でも行政の指導が必要だろうか。


 市町村合併協議事項の進捗は

 長期間協議を重ね将来の宮古島づくりのビジョンを策定し、その上で宮古島市が誕生したはずだ。市長を中心に職員もそれなりに努力していると思うが、一般市民には合併に伴う多くの合意事項がどこまで進められているのか、何がこれから進められ、合併債を活用しての事業は何があるのか全く分からない。


 合併して6年、市民の中には合併するべきではなかったと言う人も昨今多いと聞く。合併後の職員の不祥事の多いことはもってのほかであるが、市議の議会活動のふがいなさには怒りさえおぼえる。市町村合併の目的を考えるならば、議員としての発言、行動がもっともっと強化されねばならないはずである。この頃の多くの議員にはロマンを感じることができないのはなぜか。毎日のようにどこかでオトーリを飲むのもよかろうが、もっと品格のある議員になってほしいものだ。


 議員の定数はこれでよいのか

 合併協議会の最終会議の中で宮古島市議員定数問題が議論された。その中で意味不明な発言で定数26名とすることに決定された。私は、傍聴席であぜんとした。5万4000市民の市の議員定数が26名か。議員定数と税金支出との関係は大きな問題である。日本で議員定数を減らす発言や行動が始まったのは昭和58年である。土光敏夫が第二次臨時行政調査会長として、行政改革最終答申を政府に提出した頃である。


 日本は昭和22年、地方自治法で議員定数が決められたが、沖縄はその後、琉球政府時代、日本の地方自治法と同じような法が制定され議員定数が定められた。法定内で地域に適した定数であればよいが、宮古島市の財政力、その他行政全般をみて議員定数が多いということは市民に過剰な負担をかけることになる。


 いずれ議員定数問題は、回を重ねて議論をするつもりであるが、オトーリ議員は15名で良い。しかし、最終的には10名まで減らすべきである。その数で宮古島市議会は運営できるし、行政も発展させることはできる。その能力のない者は議員になる資格はない。


 4年間の任期のある議長、副議長が市民に明らかにされず急に辞めたり、新たに議長、副議長が出たり、全く無茶苦茶な状態だ。闇取引もはなはだしいと言われても仕方ないだろう。先ほど、新議長が宮古テレビで発言した「君」とは言わない等は、全く不可解なことで自分の耳を疑った。たぶん議会用語としての「君」の意味を誤って理解しているとしか思えない。新年にはどうしてもただしていくことを告げておく。