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ペン遊・ペン楽
2011年12月21日(水)22:50

絆と連絡手段/本村 佳世

2011.12.22 ペン遊ペン楽


 毎年12月12日の「漢字の日」に合わせて京都の清水寺で発表される、「今年の漢字」。2011年は「絆」に決まった。


 辞書を引くと「絆」とは、「人と人との断つことのできないつながり。離れがたい結びつき(大辞泉)」とある。私自身も今年は二度ほど、人とのつながりやつながり方について考えさせられることになった。

 一度目はやはり、3月11日のあの震災の日である。都内でも震度5クラスの強くて長い揺れを体験した。揺れが収まった頃には誰もが家族や友人へ安否確認の連絡をしようとし、携帯電話の回線はパンク状態となった。数時間にわたって通話もメールもほとんど不能。固定電話の回線までも、どうもつながらない。こうなると、インターネット回線のほうが強かった。ツイッターやフェイスブックといったインターネット上の交流サイトではすぐに、知人や友人とお互いの無事を報告し合うことができた。しかしそこでやりとりする人はほとんどが、遠くに住んでいて滅多に顔を合わせられない友人・知人か、インターネットの中だけでの知り合いのどちらかである。その空間には、家族やいつでも会える友人はいなかった。

 いつでも連絡を取れる、いつでも会えると思っていた家族や親しい友人は、電話回線が使えなくなると、連絡のすべがなかったことに気づいた。宮古の実家に自分の無事を伝えられたのも、同居する妹の無事が確認できたのも、2~3時間たってからだった。

 二度目は11月に、携帯電話を紛失したとき。こういうときに限って、その週末に友人のひとりと遊びに行く約束をしていた。やはり、よく顔を合わせる友人とはふだん、携帯でしか連絡しない。他のどの手段よりもそのほうが手っ取り早いからだ。案の定、私はその人の連絡先も、携帯電話の電話帳に記憶させたきりで、どこにもメモや控えを取っていなかった。当日の待ち合わせに何かが起きたらどうしよう、いやもしかしたら、なくした携帯に予定変更のメールが入っているのではないかと、冷や汗をかくことになった。電話番号さえわかれば、自宅の電話からかけて事情を伝えることができるのに…。

 なくした携帯は、幸いにも拾って警察に届けてくださった方があり、一週間後に手元に戻ってきた。以来反省して、携帯の電話帳のデータはパソコンにも取り込み、携帯がなくても連絡先がわかるようにしている。件の友人とは、10年ぶりにパソコンのメールでのやりとりを再開した。

 家族や親しい友人ほど、連絡手段は電話のみに頼り切っていることに気づかされた一年だった。両方の体験とも、家族や友人とやっと連絡が取れたときには、何事にも代えがたいような安堵感を覚えた。心理的に「絆」を強く感じる相手だからこそ、これまで物理的なつながりにこだわらずにいられたのかもしれない。意外にも、なかなか会えない人との方が、インターネットのメールやら交流サイトやらで連絡し合えたり、たまにははがきを書いてみたりと、何通りもの連絡手段を持っているものだ。

 来年は災害ともハプニングとも無縁であってほしいものだが、しかし何かあったときのために、身近な人との連絡手段をすこしずつ見直して、強固にしていこう、と考えるようになった。
(東京在・会社員)

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