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2012年2月13日(月) 23:35

「沖縄差別」(行雲流水)

 先日開催された沖縄県立博物館・美術館の移動展には多くの市民が駆けつけ、本物の標本や資料に触れる機会を得た。この展示会では17人もの学芸員やボランティアが丁寧な説明に当たり、学習と関心を深めさせた



▼一人の宮古出身のボランティアによると、博物館の歴史部門では宮古からの入館者に「分島問題」を説明することが多く、入館者の関心も高いという


▼明治初期、琉球の帰属について日中間で協議がされている。中国(清国)側は奄美を日本へ、宮古・八重山を中国に属せしめ、沖縄本島に琉球王国を復活させるという三部割案を提示する。それに対して明治政府は、宮古・八重山を中国に割譲し、沖縄本島以北を日本に属せしめる。ただし、最恵国待遇が受けられるよう日清修好条規を改定する、というものであった


▼協議は日本側の案でまとまり、1881(明治14)年1月に条約を発効させることになった。ところが、中国側の国内事情で、調印・批准が回避された。明治政府は、中国内での経済活動で利益が得られる代わりに宮古・八重山を中国に譲ろうとしたのであった


▼第2次大戦のとき、本土決戦に備える時間かせぎのための地上戦で犠牲になった沖縄。日本の独立と引き換えに沖縄に犠牲を強いた戦後処理(屈辱的なサンフランシスコ条約第3条、その後27年間のアメリカ支配)、今なお続くアメリカによる軍事的植民地状態と米軍基地の重圧。そのいずれも根は一つである


▼「沖縄」は歴史に学び、現在と未来を見つめている。