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ペン遊・ペン楽
2012年3月14日(水)22:39

風の記憶-「さとうきび畑」/さどやま せいこ

2012.3.15 ペン遊ペン楽


 島を覆っていたサトウキビはほとんどが刈り取られ、今期の収穫も終盤となった。平らな島はますます見通しが良く、大陸的という表現さえもある。戦前戦後、沖縄の農業はサトウキビに頼って来た。1964年、米軍統治下にあった沖縄に初めて訪れた作詩作曲家・寺島尚彦(1930-2004、東京出身)は、様々な戦跡を歩いたあと、日本軍最後の激戦地を覆っている一面のさとうきび畑に出会う。


 現在、平和記念公園となった一帯には、当時サトウキビ畑が広がっていた。ガイドの案内で、地中に戦没者の遺骨が埋もれていることを知らされる。その時の衝撃を後に著書で「私の背より高いサトウキビが一斉に風を孕んで私を包み込んだ。その音に思わず足が竦んだ。そこの地下に眠る人たちの魂の怒号や嗚咽が聞こえてきたような気がしたのだ」と記している。

 その体験から心をかき立てられるように生まれた歌が「ざわわ、ざわわ」で知られる「さとうきび畑」だった。風の音を表す言葉がなかなか見当たらず、「ざわわ」を引き出すまでに1年半かかったという。番までの歌詞があり約分かかる歌の中にこの「ざわわ」が回も使われている。戦争を知らない人たちにも戦争の悲惨さを静かに淡々と心の奥深く伝えるために、これだけの長さを要したと説明している。67年発表以来、反戦平和の歌として多くの歌い手に歌われ、全世界に浸透していった。
 

 ♪ざわわ ざわわ  ざわわ 広いさと  うきび畑は 風が  通りぬけるだけ
 今日も見わたす限り に みどりの波がう ねる 夏の陽ざしの なかで
 

 歌詞は、戦争で生き残った子が、鉄の雨にうたれて死んだ父親を、暑いサトウキビ畑の中で思い出している。問いかけても返ってこない父親の言葉。この空しさとやるせない思いを寺島さんはこの「ざわわ」に託したのではないかと思われる。

 心に染み入るようなその唄は年に亘り、戦争で傷ついた人たちの心をいやしてきた。故人となった寺島さんの意志を語り継ごうと歌碑建立実行委員会が石原昌家さん(沖縄国際大学名誉教授)を中心に動き出したのが2年ほど前。今年4月には完成のはこびとなった。

 建設予定地は読谷村高志保で、集団自決のあったチビチリガマの近く、サトウキビ畑の広がる広大な場所。米軍の上陸した土地でもある。歌碑周辺は、新たな平和学習の場として活用されることになった。

 実行委員会は、反戦平和の願いを共有する全ての人々の思いを集結させ、じっくりとニライカナイ(魂の宿るところ)の地から全世界に祈りを届けたいと草の根運動を展開、募金活動と歌碑基金チャリティーコンサートを各地で実施している。

 太平洋戦争より67年、沖縄は日本復帰40年の今年、普天間基地の移転問題も未だ方向性の見えない現実が立ちはだかる。戦争はまだ終わっていない。

(宮古ペンクラブ)

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