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美ぎ島net
2012年4月21日(土)22:23

2週間滞在「絆」確認/第2回宮古島マウイ島 青少年交流プログラム

ハワイとの文化交流、将来に夢!


元気で帰ってきた生徒たちと波平先生、与那覇さんら。「もう一度行きたーい」と声をそろえる

元気で帰ってきた生徒たちと波平先生、与那覇さんら。「もう一度行きたーい」と声をそろえる

 プログラムは、17日夕出発、翌朝グアムで朝日を見てその日の夕方にはマウイ島に到着、ホストファミリーと対面した。こうしてそれぞれがファミリーに入り、翌日からはスクール体験も始まった。9日間のホームステイで、マウイ郡長と議会表敬、旧日本人街の観光やカヌー体験、ラベンダー農園観光などを楽しんだ。また、キンケ高校やマウイ高校での体験入学で現地の高校生との交流もあり、お互いの文化を披露する機会も。


 オアフ島での5日間は、ハワイ東海大学で宿泊、講義では「太平洋戦争について」のテーマで現地の人たちの感想を聞くこともできた。ホノルルのパールハーバーでは当時の沈没した船がそのまま展示され、近くには戦没者メモリアルホールがある。砂川裕磨さん(宮校3年)は「体験者はもう日本人を恨んではいない、これからは世界中のこうしたことを終わらせなければならないとの現地人の言葉に感動した」と話した。

 この他、ハワイ沖縄文化センターやハワイプランテーションの見学、大型ショピングセンターでは全員で東日本大震災復興支援イベントとして書道パフォーマンスが行われた。横3㍍、縦5㍍の紙に「絆」の文字を書き、ショッピングに訪れた人たちの目を集めた。最後は、ハワイ大学・東西センターやハワイ大学県系クラブ「あきさみよー」との交流など充実した日程に、全員が「もう一度行きたーい」と声をそろえた。

 波平教諭は「3カ月前にオリエンテーションを行い、事前学習として英会話や日本や地域の文化を学んだ。特に今回は大震災のことをどう伝えるかということがメーンとなった。復興の継続支援の寄付を募る書道実演などを行ったが、移民の方たちの意識は高かった」と話した。与那覇さんは「1965年に姉妹都市となったマウイとはつながりも深く、今後あらゆる交流を通して身近に感じていくことの大切さを感じた」と話し、アロハの心と宮古のユイマール精神には同じものを感じるとして、今後も盛会となった青少年交流プログラムの継続を望む。

 下地菜奈さんは「気候が宮古の夏と似て、サトウキビ畑も多く良い環境だった。最初ホストファミリーと言葉が通じるか不安だったが、次第に積極的に会話ができるようになった。初めてサーフィンを体験したり間近でクジラを見るなど初めての体験に感動した。このプログラムに参加できたのは、先生方、両親、関係者のおかげ、宮古島とマウイ島の絆が深まったことに感謝」と感想。仲宗根有沙さんは「文化や習慣の違いを体験できた。何より驚いたのはスクール体験で、生徒たちが携帯をいじったり音楽を聴いたり、飴やスナックを食べながら授業を受けていたこと。県人会の交流ではたくさんのアロハスピリッツを受けた。将来、看護師の資格を取り、海外で働きたいという夢が強くなった」

 下地恵令奈さんは「ホストファミリーで自分の英会話が通じるようになったのがうれしかった。ハワイの歴史や文化はオアフ島で学ぶことができた。日本人移民のことや真珠湾攻撃のことなど、日本の歴史と重ねて興味深かった。日系人が大変な時代を乗り越え、今ハワイで重要な役割を担っていることもわかった。ハワイで受けた温かい歓迎の心、感謝の心を忘れず、将来に生かしていきたい」と感想を述べた。

 「逆ホームシックにかかっている」と声をそろえる。ハワイでの学校生活やホームステイ先での温かい交流がまだ冷めやらぬ生徒たち。国際的に貢献できる人材の育成を目的にWUB(ワールド・ウチナーンチュ・ビジネスアソシエーション)沖縄宮古支部が主催した「2012宮古島・マウイ島青少年交流プログラム」が3月中旬から14日間の日程で行われ、11人の中高校生がマウイ島を中心にハワイでの文化交流を体験した。引率した波平麻衣子さん(宮古高校教諭)や地域代表として参加した与那覇政江さん、ウクレレ奏者の荻野鉄也さんも参加、沖縄県人会との交流の中で輪が広がっている。

青少年参加者名簿

喜久川愛梨(宮高3年)・砂川裕磨(〃)・下地菜奈(〃)・羽地桃子(〃)・下地恵令奈(〃)・下地美菜子(〃)・仲宗根有沙(〃)・下地欄(〃)・立岡太雅(上野中2年)・平良桃勢(池間中3年)・木村梨菜(平良中3年)

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