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ペン遊・ペン楽
2012年5月9日(水)23:10

なぜ今、『金子みすゞ』なのか/下地 昭五郎

2012.5.10ペン遊ペン楽

 

『私と小鳥と鈴と』
 私が両手をひろげても/お空はちっとも飛べないが/飛べる小鳥は私のように/地面を速くは走れない。私がからだをゆすっても/きれいな音はでないけど/あの鳴る鈴は私のように/たくさんな唄はしらないよ。鈴と、小鳥と、それから私/みんなちがってみんないい。


 読者の皆さん!「おや?」と思いませんか。そうです。タイトルの『私と小鳥と鈴と』の言葉の位置が変わっています。なぜでしょうか。鈴と小鳥と続き、意図的に「それから私」。一度自分を後にしてみないと「みんなちがって、みんないい」は成り立たないと作者・金子みすゞは言っているのです。つまり、「私とあなた」から「あなたと私」に変わらない限り、この世の中は幸せにはならないし、「みんなちがって、みんないい」は成り立たないというのです。

 昨年の3月11日の東日本大震災までは、この詩が作者の代表作だったようです。しかし、3月11日以降は、『こだまでしょうか』に変わったと言われています。この二つの詩に共通しているキーワードは「あなたと私」という『まなざし』です。

 全ての人は共に尊く、支え合うというのが人間の素晴らしさ。そこに気付くために自分優先、人間中心のまなざしを変えなければならない、と作者は言っているのです。

 昨年8月、奈良県は天理市で、矢崎節夫氏(金子みすゞ記念館館長)の講演がありました。タイトルは「みんなちがって、みんないい ~金子みすゞさんのうれしいまなざし~」。氏は金子みすゞの「あなたと私」の『まなざし』を次のように解説しています。「遊ぼう」っていうことができるのは、聞いてくれる「あなた」という存在が先にあるから。あなたがいないとできない行為。それが「こだま」なのです。「ごめんね」と言ったら「ごめんね」と返ってきて、そしてみんなが共に支え合う幸せという世界がこだまの原形であり、人間の原形です、と。

 東日本大震災から学んだ教訓はあまりにも多い。「絆」「支え合い」「命の尊厳」と挙げればきりがありません。さまざまな生と死の狭間で苦悶した不条理の映像は、すべての人の脳裏に深く刻み込まれました。それは海を越え海外の人々の心もとらえて離さなかった未曾有の大惨事でした。そういう極限状況で私たちが気付かされたのが、「人間の絆」や「支え合う」という「こだまの世界」なのだと思います。この「二つ一つが天の理」という自然の摂理に思いを致さないのが世界中の不幸の原因なのかもしれません。矢崎氏は宗教の原点は『こだま』とも言っております。

 弱冠26歳で早世した金子みすゞの『やさしいまなざし』が人口に膾炙するゆえんかもしれない。やさしい日常語でこれほど人に感動を与え、人間としての実存的な存在意義(価値)を自覚させられるこれらの『詩』は心の荒野を彷徨う人々へのマナ(旧約聖書)『出エジプト記』)なのかもしれない。

 最後に、共生に不可欠の「やさしいまなざし」の象徴的な作品の一つ『大漁』の滋味あふれる世界を読者とともに味わいたい。朝焼け小焼だ/大漁だ/大羽鰯の/大漁だ。浜は祭りの/ようだけど/海の中では/何万の/鰯のとむらい/するだろう。

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