2012年8月11日(土) 21:48

「閉じつつ開く」/伊志嶺 敏子

私見公論42

 

 「冬は穴に宿、夏は樔に住む」と『日本書紀』には、東国蝦夷について記されているそうだ。その樔とはツリーハウスのことであろう、と建築史家の藤本照信は書いていた。



 当時の人々は、今風に言えば、冬には寒さから身を守るためシェルターとしての穴に住み、また暑い夏には快適さを求め風通しの良いアメニティーのある樔に住む、という二つの家を住み分けたということになる。


 25年程前の夏、台湾の南東100㌔沖の、バシー海峡の最北端に浮かぶ蘭嶼へ行ったことがある。この島の大きさを沖縄の島々の中で言うならば、久米島くらいの規模だろうか。台風の通り道になっている絶海の孤島である。そこには、この二つの家を持つ人々の暮らしがあった。


 その一つ、シェルターの家は地面を掘り下げて海辺の玉石で擁壁を築き、その中にスッポリと木造の小屋を据え、台風から守られるまさに「穴」の家であった。


 もう一方のアメニティーの家は、涼亭と言われるあずまやのような高床の小屋である。この島は、高温多湿(年平均湿度90%!)なので、普段はこの風通しの良い小屋で暮らしている。


 なるほど、このように住まいに求められる基本的な機能を分けて各々棟別に造られた家は、住まい方も単純でわかりやすい。一方、そのことは文明化の進んだ社会の中で住まい造りを担う私たち設計者の苦悩を照らし出すことにもなる。


 涼しさと明るさ、さらに眺望のためには大きな開口部が欲しい、が、それでは台風に対して無防備になってしまう。言い換えるとシェルター性を高めるためには閉じ、アメニティー性を高めるためには開く、つまり「閉じつつ開く」、という相矛盾した課題を抱え込むことになる。そういうジレンマを現代のあらゆる技術力を持って、解決してゆこうとするのだが、時として大自然の脅威の前には無力であったりする。


 もっとも、設計というものは、そういう矛盾の整理、解決の中にあるものだが。私たちはあの二つの家を持つ人々のようにしなやかに自然と関わることを忘れ、自己完結的、意識を閉じてしまってはいないか、自問自答している。そしてその試行錯誤の中、深い軒、屋根のかかったテラス、等の半戸外空間こそ解の一つではなかろうかと気付き始めている。


 台風時に窓に当たる強風を観察すると、風はいったん、軒先に当たり下方へ吹き下し、窓ガラスはガタガタするだけで、それほど強い風圧はかかってはいないことが確認できる。まさに「閉じつつ、開く」ための大切な開口部を守る装置、軒先が大切である。おまけに、深い軒は涼風を招き入れる装置でもあり、特に南東の角に設けられたテラスは、家全体に涼風を導く装置として多くの方々が、体験済みでしょう。このようなことから、私たちの住生活にとって、深い軒の空間は大切だと言える。しかし、この頃、軒の出どころか、庇すらも無い新築の家を見るにつけ、大変気になることだ。


 最近、わが家では庭に向かって張り出している軒下の濡れ縁で省エネ暮らしを試みている。涼風もごちそうとしながら朝夕の食事をそこで楽しんで、リッチな気分である。そこでは休日ごとに手入れをしている草木を話題にしたり、テレビで嫌なニュースを見ることも無く、なかなか快適。


 沖縄の伝統住宅には雨端という軒下空間が定番としてあるのだが、宮古島の昔の木造屋には雨端を持った住宅は少なかったように思う。台風に煽られないように軒の出を小さくしたのか、あるいは表土の浅い土地ゆえに地場の木材に恵まれず、節約型の骨組を余儀なくされただけなのか、あるいは…。いずれにしろ現代とは違い、多くの制約の中でシェルター優先の家造りをしてきたのであろう。


 そうしてようやく手に入れたのが半戸外空間、それは宮古島住空間の豊かさのシンボルだと思っている。その空間を多いに活用し、住生活を楽しみたいものだ。