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2013年2月9日(土)23:35

加藤 正さん(43歳)/元冬季パラリンピック選手

夢に向かってチャレンジを


加藤 正さん

加藤 正さん

 カママ嶺公園近く、平良下里郵便局に勤務する加藤さん。椅子の左手には右足を支えるための杖が。実は、小学2年生のとき、骨肉腫を発症して左足を切断、それからは杖が常備の生活。それでも、音楽にスポーツに健常者以上の関心を示し、冬季パラリンピックでは約15年間活躍、その名を馳せてきた。「スポーツでも何でも自分を表現できる武器を一つは持っていたい。それが、それぞれの夢につながっていくと思うから」


 自分が障がいを持っていることを少しも意識していない。8歳で左足が無くなったが、それほど思い込まなかった。それは、同じ部屋に同年代で同じ病気の子が5人いて、結局、がんが進行して4人は亡くなってしまったという。社会に出ても偏見の目に落ち込まなかったのは、そうした環境を乗り越えてきた強じんな精神力があったからだ。

 昨年2カ所の小学校で講演した。テーマは「夢に向かって」。これまでの実績をPC活用で紹介、夢を諦めないことの大切さを訴えた。「宮古で感じることは、小さな島でJリーグに入る子やプロ野球に入団する子など、スポーツが盛ん。これは、伸び伸びと好きなことができる環境に恵まれているからだと思う。ただ、少し欲が足りないことも感じる。仲間と楽しむのもよいが、これだけは誰にも負けないという根性がほしい」と話す。

 7年前、宮古に移住したのは、妻あずみさんの希望だった。「あなたは、十分やりたいことをやったので、これからは私の夢もかなえてほしい」と言われ、決心した。京都生まれのあずみさんは、16年前職場旅行で宮古島に初めて来てその後、毎年のように来島、いずれは住みたいと思っていたようだ。「山国で育ったので、最初環境に慣れるのに少し時間がかかったが、今では温暖な気候に体が馴染んできた」と苦笑する。

 現在、ちょっとしたきっかけで郵便局に勤務することになったが、もっと、島のために役に立ちたいと考えている。特にスポーツには思い入れが深い。「スポーツは理論や座学で学べるものではない。野性的な勘を生かして判断力やメンタルな部分での指導が必要」と話し、機会があれば、いつでも対応したいと熱心さを窺わせる。

 加藤 正(かとう・ただし)1969年2月23日、長野県伊那市で生まれる。88年、ソウルパラリンピックに水泳で出場。その後、92年からリレハンメル大会や長野大会に、選手育成に携わりながら、アイススレッジスピードレースやホッケーで出場する。06年のトリノ大会を最後に07年、家族で宮古島に移住。12年6月から平良下里郵便局に勤務。妻・あずみさんとの間に1女1男。

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