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人生雑感
2013年5月2日(木)21:35

「私は偉い人より良い人が好きだ」

日本親業協会親業インストラクター 福里 盛雄

 

1 「偉い人」と「良い人」とは違う

 一般的に「偉い人」とは、学歴が高く、高い地位に就いている人を言う。「良い人」とは、学歴の高さや地位の高さとは関係なく、思いやりがあり、誠実で責任感の強い親しみやすい庶民的な人に対して使われているように思われる。宮古では、この両者を使い分けて、クヌピストゥイライピストドウ(この人は偉い人だよ)と言い、クヌピスピトゥジョウトウヌピストゥ(この人は良い人だ)と言って、両者を使い分けています。「偉い人」より「良い」が人には好かれます。何故だろうか。「偉い人」の偉さは学歴や社会的地位という外面的要素が判断の基準になっています。それに対して「良い人」の良いはその人の内部の品性、人格が判断の基準になっている。実社会において人の行動の原動力となるのは、人の外面的要素である学歴や地位の高さではないのです。現実の行動の原動力となるのは、その人の内部に蓄積されている品性・人格であると思います。


 どれほど学歴が高くても、どれほどの高い地位にいても、その人の品性が低く、人格的に良くなければ、その人の学問的知識も地位も無益であり、場合によっては、社会的悪にもなり得るのです。世の中には、学問的知識や自分の地位を悪用して、その社会を破滅させている人もいます。そのような人が高い学歴を持ったこと、高い地位に就いたことは、その社会の人々にとって不幸であると言わなければならない。そのような人は高い学歴や学問的知識はない方がよかったのです。このように、高い学歴や知識だけでは人の幸せのために有益なことをなすことはできないのです。それらの知識をどのように選別分析して用いるかが重要である。その重要な働きをするのが、その人の知恵である。

 「偉い人」は、高い学歴と高い地位にいますから、豊かな知識を持っているといえます。しかし、その人に知恵が蓄積されていなければ、その豊かな知識を有効に用いることは困難である。「良い人」とは、知恵ある人であるといえます。

2 知恵者である「良い人」になるための知恵は、どのように修得できるのか

 人の知識は、その人の知恵の素材に例えることができます。知識のない者は良き知恵者にはなることはできません。しかし、知識の蓄積が、人を傲慢にする場合があります。知識の豊かさのために傲慢になり、人間失格者となって他人と自分を不幸にする人も多いのです。それは、その知識が真の知恵の素材とまだなっていないからです。知識が、知恵までに昇華するためには、その人の並々ならぬ鍛錬が必要です。人は知識を求めての鍛錬によって、自分の知識が如何に貧弱であるかに気づき、知識の豊かさのための傲慢さは、実は自分は何も知っていないという謙遜さへと変化する。その謙遜さが周囲の者の言動に心を向けさせる態度を創り出す。知識は知恵の素材であるけれど、知恵を創り出す過程での素材の選別吟味において、如何に自分のもっている知識が浅薄であるかに気づき、結局、自分は何も知識はなかったんだ、と分かるようになる。そこから知恵づくりはスタートする。せめて今、自分が持っている知識を社会のために、有効に使っているかどうかについて吟味するための静かな一時を持つことが大切であると思います。

 今年は猪年であるが、ただ熱心に突進するだけでは、人は知恵を修得することは難しいのです。熱心さとともに、変えなければならないことは変える決断をし、変える必要のないことは、そのままにする勇気を持ち、どの点を変え、どの点を変えるべきでないかの分別できる「いい人」として成長したいものです。

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