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ペン遊・ペン楽
2013年5月22日(水)23:19

風天のうた/下地 玄幸

2013.5.23 ペン遊ペン楽

 

 映画でおなじみ「男はつらいよ」のフーテンの寅さんこと渥美清。今年2月、深夜放送で彼が俳句をやっていることを知った。さっそく20インチの中古自転車を買った古本屋に走って森英介著「風天-フーテン-渥美清のうた」を探し当てた。俳号は風天。季語や五七五にとらわれない無季破調の句を好んだといわれる。


 赤とんぼじっとしたまま明日どうする 63歳

 本名田所康雄は昭和3年3月東京上野で生まれた。欠食児童で病弱。3、4年生は長期病欠でほとんど学校に出ていない。20代後半には肺結核で右肺を切除して2年間入院。この療養生活が後の人生観に多大な影響を与えた。

 ベースボール遠く見ている野菊かな 64歳

 肝臓がんの告知は63歳だが、それより15年も前にがんが見つかっていたという。彼は療養生活のなかで死を覚悟した失意の患者の姿を何度も見た。昼間は見舞客たちにどんなに明るく振る舞っても夜になると死の恐怖におそわれた。66歳で左肺に転移。67歳まで抗ガン剤を服用しながら撮影の合間に何十回も入退院を繰り返して「男はつらいよ」を48作まで撮り続けた。

 彼は四国を巡るお遍路にも関心を寄せた。かつて遍路は故郷を追われたもの、病苦や障害を抱えたものたちが人に言えない現世の苦悩と彼岸への思いを胸に、弘法大師と二人で歩む終わりなき旅だった。彼にとってすべて人間はお遍路として人生を歩んでいるのではないかと映った。

 晩年、吉村昭の小説「海も暮れきる」に衝撃を受け、死ぬまでに一度放哉を演りたいと熱望した。最高学府を出てエリートコースを歩みながらも酒に溺れて職を追われ、流浪の果てに小豆島八十八ヶ所霊場西光寺南郷庵の寺男となり、赤貧と肺結核に蝕まれて悲痛の生涯を閉じた自由律俳句の俳人尾崎放哉(1885年-1926年41歳)を撮りたいとの願いはついに叶わなかった。

 ポトリと言ったような気する毛虫かな 68歳

 田所康雄は公私混同を非常に嫌い、没するまで独身だと思っていた人が多かった。風は目に見えないもの、漂泊と郷愁の象徴。四角い顔に細い眼。風天も長く激しい闘いをひとりで闘い、そこに研ぎ澄まされた彼の眼を感じる。平成8年8月転移性肺がんのため68歳で死去。ポトリは同3月の句であった。

 5月、タイヤとブレーキシューを新品に取り替えた。新品タイヤの走りは軽い。空港通りでキャリーバックを引いたお嬢さんたちを見かける。すらりと伸びた手足にかかとの高いサンダル。育ち盛りのものだけが発する華やかな光に包まれてかっ歩している。海にでると耳に風の音がする。渥美も放哉も重い生涯だが、読後の余韻は妙にシンシンとしてコレってアリだと思えてくる。

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