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2013年5月31日(金) 22:49

地域の愛に包まれて大人になった僕の夢(4)/濱元 雅浩

私見公論71


 僕は西里大通りに生まれ育った。近所には役所に警察、消防署。図書館に学校に映画館。銀行にタクシー会社にホテルにレストラン。布団屋、カーテン屋、電気屋、金物屋からメガネ屋、レコード屋、ブティック、化粧品屋に靴屋と、それぞれの商魂でチャレンジする商店の類いは数えきれず。大人の潤滑油である泡盛の製造所の横には、中高生の社交の場としてクレープ屋があって、その向かいには小学生をとりこにする屋上遊園地が。そんな雑多な街には、朝から晩まで、いや夜中に大騒ぎで街を闊歩する酔っぱらいも含めて、たくさんの人が、それぞれの目的のもとに往来していた。表通りだけではない。路地を一本入った裏通りにも、食堂、居酒屋、畳屋、クリーニング屋、そしてたくさんの住宅があり、その路地は近所の子供たちの格好の遊び場でもあった。それぞれの思惑でそれぞれに林立した建物群に、それぞれの楽しみをたくさん詰め込んだギラギラとした街。それがいわゆる僕の「故郷の原風景」。と、前説が長くなりましたが、今回は「街」がテーマ。



 ちょっと寄り道して、社会学者の宮台真司のいう「人間を中心にして、人間のニーズに応える[安全・安心・便利・快適]な街づくりを進めるだけでは、その地域に存在していた尊厳を壊してしまい、街や環境を保全できず、結果的には人間を幸せにはしない」ということから考えてみる。彼は環境倫理学者ベアード・キャリコットの「人間は、場所に寄生するものであって、『街という生き物』にとって自然なことかどうかで、街づくりの適切さを判断することがとても大切だ。よって人間ではなく『場所』を主体に考えよう」という提唱から、「住民ニーズに答えるだけの街づくりではでたらめになる。場所を生き物として捉えて、成り立ちや歴史に目を向けることが、その地域に存在する尊厳を守り、必要性のある街をつくることにつながる」という。


 その視点で故郷を眺めてみよう。漲水港から延びた高台に位置し、明治期から島の中心地として栄え、人が人を呼び、三つの商店街が広がっていった。一時、空襲で街はチャラになったが、僕が生まれる頃にはまたまた賑わいを取り戻していた街。復帰後生まれの僕には、もちろんそんな昔の記憶などないが、現在の街をみているだけでも、それを可能にした何ともいえない島のパワーを感じる。大正期や昭和期の古い街の写真を見るとなおさらだ。街とはギラギラとせめぎあう商売の場所というだけではない、古い写真の街には、社交場=「ハレ」の場という心地よい香りが漂っている。それだけではない、この地域にはたくさんのガーや井戸跡、そして拝所があちらこちらに点在している。その景観は人と街と自然が混在する場所そのものであり、それこそが「生き物としての場所」ということなのだろう。そう捉えれば、元気がなくなっているこの街ではあるが、今でも宮古島のパワーが宿っているように感じるのは僕だけだろうか。


 もう一度、高校生がジェームスできるギラギラした街の再来を楽しみにしている僕。気が付けば、その街の再生にどっぷりと関わらなければならない年になってしまっている僕。現在の街をみて、思い出だけでは食っていけないと感じる商売人の僕。そんな時、宮台のいう「生き物としての場所」の価値をもう一度考え「住民ニーズだけによらない」街をつくることが大切だろうとグルグルと考える。


 「市街地」を辞典で引くと「人家や商店、ビルなどが立ち並び、農地や自然のままの林草原などが見られなくなった地域」とあるが、そういう市街地ではなく、そもそもこの場所にあったものに寄り添いながら、今後必要になるものを増殖させてしていく、そんな街づくりを進めていく必要が、この街に育てられて40を迎える僕の責任なのだろうなあ。さて、宮古島の尊厳をもった価値ある街づくりに向けて、何から始めましょうかと…またと思い悩む梅雨の午後でした。