2013年7月13日(土) 9:00

クイチャーフェスティバル ~思い~/下地 暁

私見公論77


 東京から宮古へと戻り音楽活動を続けていた2年目の夏、旧平良市民会館で沖縄本島から来た「琉球國祭り太鼓」と共演させていただく機会がありました。初めて見るエイサーは独特な衣装を身にまとい馴染みの曲に振り付け、郷土の文化を力強く踊る若者たちの姿は、あまりにも眩しくて感動的でした。



 その感動と同時にこみ上げてきたものは、宮古にはクイチャーという伝統芸能があるのに、なぜ踊られていないのだろうという疑問と寂しさでした。


 やがて宮古島にもエイサーの波が押し寄せ、学校や幼稚園などでもエイサーが踊られるようになり、島の土着の芸能であるクイチャーは、どこか肩身の狭い思いをしていました。


 そこで私は島の伝統をリスペクトしつつ、誰にでも親しみやすいポップな曲調のクイチャーを創り、島の舞踊団体や琉球國祭太鼓などに楽曲を提供して、クイチャーを創作する試みをスタートさせます。実にクイチャーフェスティバルが開催される8年も前のことでした。


 しかしながら、子どもたちの中には沖縄のエイサーが、宮古の伝統芸能であると勘違いし始めるという予想を超えた現状を知り、このままでは島からクイチャーが消えてしまうのではないかという、危機感に直面するのでした。


 そもそもクイチャーとは祈りから生まれ、人頭税をも乗り越えてきた島の人々の喜怒哀楽を紡いで来た精神文化であり、だからこそ「大切なものは身近なところにある」「温故知新」という思いを共にする仲間とともに、クイチャーフェスティバルを立ち上げることに至るのでした。


 ところがクイチャーフェスティバル実行委員会を立ち上げ、イベント開催に向け動き出したところ、「売名行為」や「営利目的」などのいわれなき誹謗中傷に打ちのめされ、運営資金も集まらず思い悩んでいたところ、仲間のひとりが「ウチの土地を担保にお金を借りればできるさ」と、涙が出るほど心強い言葉に励まされ、私のうなだれていた気持ちを立て直してくれました。


 また、本屋でたまたま見つけた人頭税の歴史を描いた劇画「島燃ゆ」を読み、己の肉体を傷つけてまで過酷な人頭税に立ち向かおうとしていた先人たちの姿に感銘を受け、自分の苦しみなど取るに足らない。もっとがんばらねば、もっとやらなくてはという思いが「アララガマ精神」につながり、再び事務局長をはじめとする実行委員会の仲間たちの結束も高まり、艱難辛苦を乗り越えて第1回のクイチャーフェスティバルの開催にこぎつけることができました。


 くしくもそれは人頭税が廃止されて100年目の節目となる2002年。気がつけば宮古島に戻って10年の年月が流れていました。


 音楽を通して島の言葉を残そうと思い製作した「オトーリソング」が、おふくろへの鎮魂歌だったように、クイチャーフェスティバルを通して先人たちへの供養ができれば、そんな思いも私の中にはありました。


 宮古島の伝統文化の根っことも言えるクイチャーを次の世代につなげるためにも、底辺の拡大の重要性を感じ創作クイチャーを創ったのです。伝統と創作、ふたつのクイチャーを軸としたクイチャーフェスティバルを通し家族や地域のつながりが生まれ、そこから世代間の交流も活発になり、大人に負けない伝統クイチャーを踊る子どもが登場したり、廃れていた地元のクイチャーを復活させ、地域の誇りを取り戻した字(あざ)が現れたり、また棒踊りや獅子舞といった土着の芸能にも目が向けられ見直されるようになったのではないかと思います。


 今後の宮古島の伝統文化の発展を思い描いたとき、芸能文化面で携わっている方々だけでなく、ひとりでも多くの島の人たちや宮古島出身の方々、宮古島を愛する皆さまと共に連携し運営していくことが理想だと考え、現在新たな組織づくりに向け取り組んでいるところです。


 先人たちやご先祖さまがあって親があって、島があって、今の私たちがあるように、100年後も200年後も宮古島が宮古島であることを願って…ンナマカラマイ ミャークヌユー(これからも宮古の時代)

  • 宮古島の人口

    平成31年2月1日現在

    宮古島市 54,258 人
    27,060 人
    27,198 人
    世帯数 26,888 軒
    多良間村 1,170 人
    628 人
    542 人
    世帯数 522 軒
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