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行雲流水
2013年8月29日(木)9:00

「歩き方」(行雲流水)

 夏休みの一日、那覇の国際通りを歩いてみた。お店は、すべて観光客向けの土産品店・飲食店。行き交う人は、ほとんどが観光客だった。家族連れが多く、しばしば中国語が耳に飛び込む

▼そんな中で、修学旅行生の小グループに出会った。はしゃぎながら歩く姿は明るく、はつらつとしていたが、脚が貧弱に見えた。ひざ関節は竹の節を見るようで、ひざの上下の均整がとれていない。自慢気なミニスカート姿が台無しだ

▼椅子に座る生活様式のため、正座する時間がないからだろうか。あるいは、歩く・走る・運動する時間が少ないのだろうか。児童生徒の体育について、考えこんでしまった

▼「歩き方が体育の基礎です」と語る女子体育大卒業生。歩き方を「教科」として教わるという。基本形は一直線上を、ひざをまっすぐ前へ出してかかとから着地し、上体をむやみに動かさないことのようだ

▼「学校ごとに歩き方がちがう」と語る作家司馬遼太郎氏(『風塵抄』)。自宅近くの駅前で、高校生の歩き方を見て学校名が当たるようになったという。他方、多民族国家アメリカの映画では、歩き方で出身由来がわかる仕掛けになっているという。刑事コロンボの歩き方はイタリア系、威儀を正して歩く容疑者の歩き方はアングロサクソン系

▼たかが歩き方、されど歩き方。児童生徒の立ち居振る舞いは、大人になったときの立ち居振る舞いの基本になるのでは。家庭も学校も地域も無関心になり過ぎていないかどうか。「奇跡の一マイル」を歩き終えても、疑問は残ったままだった。(柳)

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