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美ぎ島net
2013年10月19日(土)9:00

民衆が支えた「請願」成就/「人頭税廃止110周年」企画

廃止運動から学ぶ勇気と気質


 先島と呼ばれる宮古・八重山は、1390年以降、中山王・察度に入貢、ほぼ1世紀後、尚真王の中央集権化に伴って支配が強化された。1609年薩摩藩の琉球侵略を契機に29年には在番制が設けられるなど統治機構がいっそう整備されていく。こうした中で36年、宮古・八重山の人口調査がなされ、翌37年から人頭に対して賦課されるようになった。廃止される1903年まで15歳から50歳までの男女が貢租(粟や反物)を納めることになり、民衆は長きにわたって隷属的な扱いを受けた。真珠養殖で来島した新潟出身の中村十作、製糖技師で宮古に赴任した沖縄本島出身の城間正安、そして下地や城辺の総代を中心とした民衆たちは1892年前後から撤廃運動へ向け動き出した。今年は人頭税廃止110年。改めて先人たちの足取りを確認した。(佐渡山政子)

人頭税関係史跡めぐり/伝承の地で先人の過酷な歴史たどる


農民代表の西里蒲住居跡で、歴史をたどる下地和宏講師

農民代表の西里蒲住居跡で、歴史をたどる下地和宏講師

 宮古島市文化協会の郷土史部会を預かる宮古郷土史研究会(下地和宏会長)は13日、第8回宮古島市民総合文化祭の一環で「人頭税関係史跡めぐり」を実施。市民30人余が参加して先人の歩んだ過酷な歴史をたどった。講師を務めたのは同会の下地利幸さんと下地会長。最初は、民衆を導いた中村十作の真珠養殖跡(トゥリバー付近)。来島して1年後に城間正安に誘われ廃止運動に関わっている。国会請願に同行した農民代表は、城辺出身の西里蒲と平良真牛。

 市内松原にある「大座御嶽」は、1597年、芋を唐から持ち帰って島中に広めたという甘藷の神さま野崎村大座がーらが祀られており人頭税時代の食生活を垣間見ることができる。住民の飢えをしのいだといわれる芋は、土地の肥痩にも関係なく旱ばつの時でも収穫でき凶年時の食糧として普及した。御嶽では感謝を込めて今でも「芋プーイ」が行われている。

 下地字与那覇にある村番所跡には、請願団の旅費を捻出するために穀倉から粟表を運び出し、投獄された池村屋真や、砂川村穀倉番人の砂川金の逸話もあり、村々の有志たちは、さまざまな形で請願団が初志を貫徹して帰郷できるよう力を結集している。途中、キビ畑の隅にあるヤマトゥガン御嶽は、請願を果たし、農民らが中村たち請願団を招いて祝勝会を開いた場所といわれている。

 この後、訪ねた真屋御嶽は、稲石御嶽ともいわれ、綾錆布を初めて王府に献上したことで、後の貢租宮古上布が世に知られることとなった。バスは、与那覇から入江に向かい、城間正安住居跡、総代らが集まって密会をもったといわれるパチャガ崎、農民らを島でまとめた川満亀吉の顕彰碑などを訪ねた。

 バスは城辺へと走り、旧城辺町舎敷地内にある「人頭税撤廃運動顕彰碑」、西里蒲の住居跡(字福里)、上原戸那生誕地(字新城)、保良村番所跡、平良真牛の住居跡(字保良)などを巡った。平良に戻り、請願成就を祝った鏡原馬場跡、人頭税石、蔵元跡、藍屋井跡、貢布座跡、宮古神社跡にある稲石の碑、産業界之恩人記念碑、在番仮屋跡などを巡った。参加者は、講師の話に聞き入り、先人の思いに触れながら歴史の重さをかみ締めていた。


 参加者の一人、大城智さんは「これまで表だった人たちしか知らなかったが、講師の時代背景を踏まえた丁寧な説明により人頭税の新たな一面を見た。穀倉番人の池村屋真や砂川金など粟を倉庫から運び出し、お金に換え請願団の資金づくりに奔走して投獄された話など、貧しい中で命を賭けて戦った民衆の勇気に感動した。こうした先人の気質がぼくらにも脈々と受け継がれていることを思うと、誇りをもつと同時に、先人に恥じないような生き方をしたいと思う」と話し、過去の歴史を風化させることなく伝承し続けることの意味を強調した。

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