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2013年11月17日(日)9:00

國仲 智江子さん(51歳)/「ラッキーローズ」考案者

福祉に役立つ夢実現へ


國仲 智江子さん

國仲 智江子さん

 先日、地元紙で「宮古島市が指定、10月19日から正式販売」の見出しで点字方式のごみ袋が紹介された。考案者國仲さんの夢の第一歩が叶った。自らの体験を通し生まれたワンタッチ開口のごみ袋。高齢者や障がい者にも便利とあって市民から好評を得ている。ラッキーローズは2011年、視覚障がいを乗り越え発明を成し遂げた実績と努力が認められ「東久邇宮文化褒賞」を受賞した。


 急に視力が落ちたと感じ始めたのは7年前。それでも勤め先の会社に迷惑をかける訳にいかず無理を通して仕事を続けた。そのころだった。「ごみ袋の開け口を探すのに5分程かかった。これは目の悪い人にとっては大変だ」と思いはじめた。さっそくラッキーローズを考案、著作権協会に応募した。視力低下はどんどん進行し病院での診察の結果は緑内障だった。それでも2年ほど勤めたが、とうとう車の運転もままならず会社を辞める。

 その後、経済的にも苦しくなり毎日が不安との闘いだった。そんな時、生活保護を勧める人もいたが、それだけはやりたくなかった。ここで踏ん張らないとすべて終わってしまうと思った。「何かしなければ」自分を励ます毎日が続く。そんな時、思い出したのが2年前、だめもとで応募したごみ袋のことだった。その後、著作権協会の懇親会席上、東久邇宮記念会幹事・高橋一暢さんとの出会いが國仲さんの人生を大きく変えることに。

 2009年、両目を手術するも時期を逸していて状況はあまり変わらなかった。先生にはこれ以上良くならないが悪くもならないだろうと言われる。最後は盲学校に行かなければならないのか、気持ちは落ち込むばかり。その気持ちを高橋さんに電話で訴えると「見えない準備をするのではなく見える準備をしなさい」と励まされ、東久邇宮文化褒賞の受賞を勧められたのだった。

 それから、自分にできることをしようと東日本の宮城県や岩手県はじめ、大阪、埼玉、東京などの盲学校に手作りのごみ袋を送り続けた。「プレス機を考えたのは、手で開け口の判を押すのが大変だったから」と話し、キビプレス機のアイデアを活用して製作所に特別注文。今では、改良を重ね、視覚障がい者でも使えるようになった。「自分でも何かできるという自信になれば幸い。私の夢はこれでは終わらせない。福祉に役立てるよう沖縄本島、本土にも進出できたら」と果てしない夢を追い続ける。

 國仲智江子(くになか・ちえこ)1962年11月16日城辺で生まれる。宮古工業高校を卒業して結婚、4人の男の子に恵まれる。2004年から建設会社の経理を担当。12年から沖縄県視覚障害者福祉協会員。同年、宮古島市図書館協議会委員。

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