2013年12月26日(木) 8:55

ただに過ぎに過ぐるもの/伊志嶺 節子

2013.12.26 ペン遊ペン楽


 「ただに過ぎに過ぐるもの。帆かけたる船、人の齢、春、夏、秋、冬」(清少納言『枕草子』242段)


 平安時代の清少納言も年齢や季節の移ろいの速さに驚き、その流れの中で人生の悲哀を感じていたに違いない。


 先日、宮古高校卒業50周年を迎えた私たちのために先輩方が開いてくださった祝賀会があり、久々に高校時代の同級生に逢うことができた。中には50年ぶりの人もいて感激一入と言ったところ。時の流れはそれぞれに顔かたちも変え、誰だったのかすぐには思い出せない人もいたが、「俺だよ」「私よ」とお互いにしゃべっているうちに一気にタイムスリップし、思春期の初々しくはつらつとした面影がよみがえってくるから時とは不思議なものである。


 子どもの頃は時間が永遠に続くものと信じていた。時は長く、早く明日が来ないかと待ち遠しくもあった。20歳を過ぎると時の速さに驚きあれよあれよと思う間に疾風のごとく訪れた70歳を目前に愕然を通り越し思わず笑ってしまいたい気持ちになる。過ぎ去った長い年月、何を考え何を感じ何をやって来たのだろうか。全く足跡がないままいたずらに齢を重ねてきたようで一抹の後悔が心の底に横たわっている。


 60歳を目前にしたとき、ある本で読んだことをいまさらながらに思い出す。その本によると(定年退職を60歳として60歳から80歳まで生きるとするならば、自由時間が10万時間ある。睡眠時間を除いた残りの時間14時間を自由時間として考えた場合14×365日×20=10万2200時間)という一文。この時間は20歳から60歳までの労働時間に匹敵するというから、あのとき、還暦を迎えたら「よし好きなことをやるぞ」とほくそえんだ。しかしそれもつかの間70歳が迫り、もうすでに5万時間に減ってしまい改めて時間は貯蓄できないことを思い知ったのである。しかし、あと5万時間もある(もしかすると、それ以上かもしれない)と思えばまた、人生の風景も変わってくるのではと勝手に思い込み慰めている。


 人間は時を駆けることも、時を止めることもできない。ただ限られた時の流れを受け入れるだけである。しかし、時は人生そのもの。一回限りの与えられた人生を充実したものにするためには〈日々をていねいに、身の周りを深く見つめ、愛でて生き続けていくしかない〉とある方が言った言葉が改めて心に沁みる。


 お互いの場所も状況も人生観も異なる、同時代を生きているあの同級生たちと再会するときは、さらなる歳をかさね一段と老いてはいるだろうし、人生の深みも増しているにちがいない。しかし、一方では、もしかすると自己の役目(もしそれぞれの役目があるとしたら)を終え、旅発ってしまい、再び逢えないかもしれない。だからこそ、残る人生を大切にし、感動的に時間を生きたいものだと願うのだが…。


 新しい年も目の前。残り少ない師走の、もう二度と訪れない今この瞬間を惜しみ、ためらいがちに近づいてくる未来に思いを馳せている。


 〈年々にわが悲しみは深くしていよよ華やぐいのちなりけり〉岡本かの子の短歌を思いだしながら。

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