2014年1月9日(木) 8:55

狩俣ウヤーンの復活へ/狩俣 吉正

2014.1.9 ペン遊ペン楽


 私の生まれ育った狩俣では約800年前から「ウヤーン」と呼ばれる祖神祭が伝承されてきましたが、この祭祀が15年ほど前から途絶えています。隣の島尻にも大神島と連携したウヤーンが行われていましたが、狩俣より2、3年ほど先に途絶えています。


 ウヤーンが途絶えた後、「何とかしなければ」と言うものの、神事には「タブーと崇り」がつきもので「触らぬ神に崇りなし」ということになり、消滅の危機に直面しています。


 ようやく狩俣自治会が動いて祭祀の最高責任者を司る「アブンマ」を就かせることが出来、祭場となるムトゥも修繕して少しずつ祭祀復活に向かって動き出しています。一昨年から夏ブー(祭)もかなり省略した内容ではあっても行われるようになりました。宮古島で最も古い祭祀とされている「狩俣ウヤーン」を何とか復活させたい、省略した形でもいいから継いでいこうという機運が徐々に高まっているような気がします。


 しかし、ウヤーンを復活するに際して解決しなければならない大きな課題がいくつかあります。その一つは、祭祀に欠かせない神歌を歌えるようにしなければならないという問題です。幸い多くの学者、研究者、マスコミが調査研究してくれたお陰で、狩俣の人がタブーと恐れて触ることの出来なかった神歌の大部分が多くの書籍で活字で紹介されています。古い時代の狩俣方言で綴られている神歌ですから、解読に相当ご苦労されたと思いますが、残念ながら多くの解読で意味不明の部分や間違った解釈をしている部分が多々見られます。カタカナで書かれた神歌を狩俣方言で読み解くと、これまで解読紹介されてきた内容と大きく違う意味内容になります。


 例えば「ミャームギぬフサ」という神歌で「ミャームギ」は男神であると紹介されていますが、狩俣方言で読み解くと「ミームギ(新麦)」となります。このミームギを若い娘達の口に入れ、噛んで唾と一緒に甕の中に吐き出す、このようにして美味しいンキ(御神酒)が造れることを神様が教えているという歌になります。また「継母ぬフサ」も、殺し合ったり、お墓をめぐって争ったりという内容で紹介されていますが、これも狩俣方言で読むと、神様に拝む時の心得を教えた内容になります。神様は常に呼ばれるのを待っている、神様を呼ぶ時は道を開け、神棚を設置し清潔にして迎えなさい、神衣(キン)を着け、神ぬ手、十ぬ手(両手)を合わせてお話しなさい、出す言葉が大事だからよく考え心を込めて話しなさい、そうすれば神様は願いを叶え栄えさせるであろう、となります。


 もう一つは、神歌を実際に歌ってきたオバーたちが少ないうえに、かなりの高齢になっていること、歌詞内容を十分理解していないこと、自分が担当した歌以外を知らないこと等々という問題です。オバーたちが生きている内に整理しないと経ち消えてしまいます。


 狩俣ウヤーンは、目黒盛豊見親が宮古島を統一した時代まで遡り、漲水御嶽や宮古神話をつくって人々を平安の時代に導いた話までつながります。その意味でも、長い歴史と未来をつなぐ大切な結節祭祀として狩俣ウヤーンを復活してもらいたいものです。
(沖縄地域政策研究会)

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