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ペン遊・ペン楽
2014年3月13日(木)8:55

ケルトと宮古をつなぐ旅/岡村 かおる

2014.3.13 ペン遊ペン楽


 兵庫県から単身宮古島に移住し10年目を迎えた昨年、私は英国を旅した。
 そもそも英国行きを思い立ったのは、ある朝、何気なく聴いていたラジオで、英国のトットネスという小さな町にシューマッハカレッジという大学があり、その大学の創設者でもあり、現在も講義を行うというサティシュ・クマールという人物の話を耳にしたからだ。インドの元僧侶であり哲学者、思想家でもある彼の話に私はみるみる惹きこまれ、分あまりの番組が終わるころには「私はこの人に会いに行く!」という決然とした想いにらんらんとしていた。

 そうして訪れた英国。果たして出会ってみたサティシュは齢77にして、力強くも純真な輝きを放つ瞳で明快に真理を語る覚者で、海辺や平原、森などさまざまに場所を移して行われる授業は深いインスピレーションに満ちたものだった。けれど予想外にも、今回の旅で私の胸にもっとも強い印象を残したのは、大学で受けた6日間の講義ではなく、その後に旅した英国南西端コーンウォール地方だった。

 最初に訪れたセントアイヴスという海辺の町は、英国らしからぬ眩しい陽光と開放的な雰囲気から「英国の楽園」とも呼ばれ、夏になると多くのバカンス客でにぎわう。人々の気質もまた陽気で楽天的。コーンウォールの人々は「ブリティッシュ(英国人)」と呼ばれることを好まず、自らを「コーニッシュ(コーンウォール人)」と称する。店を覗けば、紅茶や乳製品、書籍などのパッケージにはコーニッシュという文字が誇らしげに刷られ、コーニッシュである事への人々の愛着と誇りが、旅人である私にもひしひしと伝わってきた。そして彼らのその誇りは、そのまま私の彼らに対する敬愛となった。

 そういえば、私が宮古に移住した当初、宮古はもっといわゆる観光地観光地した土地柄かと思いきや、媚びたところが微塵もなく、むしろわが道を堂々と歩んでいるような風情が小気味良く、好もしく感じられた。また宮古出身者たちの執筆による『読めば宮古』を読んでは、筆者らがおかしみをこめて愛しげに語る宮古という地に強く心惹かれたものである。コーンウォールでは、最南端の岬ランズエンドや、干潮時に歩いて渡る離島セントマイケルズマウントなどの景勝地を訪れたが、古代ケルト文明の名残なのだろうか、どこに行っても巨石群が多く目についた。ストーンサークルが英国内でもっとも多く密集し、神話や妖精伝説が数多く残るコーンウォール。有史以前、この地にはどんな文化が栄え、どんな暮らしが営まれていたのだろう-秘められた歴史と、遡っても遡りきれない時の積層が、何気ない風景の中に潜んでいる気配がして、それが私を際限なく魅了した。

 コーンウォールとケルト文化にすっかり魅せられて2週間の旅から戻ってきた宮古島。帰って来るなり親しい友人から電話が入り、それから来る日も来る日も仲間たちとの再会の波が休みなく押し寄せ、まるで「あなたの帰る場所は此処だ」という強い力に引っ張られているような感覚にとらわれた。

 思えば私は「日本の楽園」から「英国の楽園」に旅し、私が普遍的に愛するものの姿を異文化の中で確認しただけなのかもしれない。陽光眩しく魅力的な人々が息づく宮古島もまた、今という時を生きながら、果てしない悠久の時の旅に私をいざなってやまない。

敬愛する宮古島での生活は今、11年目を迎えている。

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