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ペン遊・ペン楽
2014年3月27日(木)8:55

宮古人のルーツを考える/久貝 弥嗣

2014.3.27 ペン遊ペン楽

 「私たちの祖先は、どのような人たちだったのだろう?」。多くの人が、一度は疑問に思ったことのあるテーマではないでしょうか。現代に生きる私たちは、いったい何代前の祖先までをたどっていけるでしょう。『家譜』などが残されている家では、その資料をもとに自分の祖先を追っていくこともできると思いますが、多くの家にはそのような資料は残されていないでしょう。しかし、現代に私たちが生きているということは、必ずどこかに始まりがあるはずです。そして、そのもとをたどっていくと宮古に住む私たちの多くは、遠い昔の親戚関係にあるのかもしれません。

 そんな遠い昔の祖先のことを考えていく方法の一つとして考古学という分野があります。残念なことに一人一人の祖先を詳細に追っていくことはできませんが、いつごろから宮古に人が住み始め、その人たちがどこから来たのか、そしてどのような生活をしていたのか総体的に考えていくのには有効な手段であるといえます。

 そして、このような発掘調査や研究成果をまとめた企画展が、3月18日まで、宮古島市総合博物館で行われていました。そのタイトルこそ『宮古人のルーツを探る』そのものです。このテーマをかかげ、これまでPart1・2の企画展が行われています。実際に、企画展を訪れた方も多いことだと思います。私自身も、これらの企画展を通してとても勉強させていただきました。

 大まかに、これまでの発掘調査の成果を時代の古い順に並べていきますと、まず上野豊原にあるピンザアブからは2万5000年前のものと思われる人の骨や動物の骨が発見されています。そして平良の南小学校近くの大原南公園内にあるツヅピスキアブからは、9000年前の動物骨や人の骨が発見されています。そして、2800年前になると城辺新城海岸にあるアラフ遺跡からシャコガイの斧などをもった昔の人の生活の跡が発見されています。そして、900年前には沖縄諸島を含めた北からのやってきた人々が、宮古に住み始めていることが分かってきています。ざっとみても大きく四つの時代に、全く生活スタイルの違う人々が島の外から宮古にやってきているのではないかと考えたりします。しかし、まだ発見されていない異なる文化をもった人々の遺跡があるのかもしれませんし、異なる文化が歴史的につながるような発見があるかもしれません。

 表題にもあります宮古人のルーツを考えると、今を生きる私たちの祖先だけではなく、何万年、何千年も昔に宮古にやってきた人々の文化を含めて考えていくと、とても壮大なスケールになってきます。このような島の歴史を明らかにしていく方法の一つとして、遺跡の発掘調査は大きな可能性を秘めていると思います。遺跡には、遠い昔の人々が残した道具や生活の跡がとても多く残されています。そして、これらを発掘調査することで、新たな発見があったり、新たな疑問も生じてきます。幸いにも、このような発掘調査に関わることのできる一人として、これからも宮古人のルーツを追い求めていきたいと思います。
 (宮古島市教育委員会文化財係)

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