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私見公論
2014年4月11日(金)8:55

宮古島のお祝い事情/仲里 宏美

私見公論89

 入学おめでとう。

 今週7日、8日に各小・中・高校の入学式が行われた。小学新1年生は、その夜はお祝いだった。


 私は宮古島に嫁いで一番驚いたのは、お祝い。小学入学祝いに始まり高校合格祝い、高校卒業祝いそして成人祝いと子どものお祝いがある。その日は宮古島全体でお祝いが執り行われ、とても盛大だ。

 先日行われた小学入学祝いも盛大だった。道にはお祝いに駆けつけるための車があふれている。私たち家族も何日か前から新1年生のリサーチが始まる。そして、どのルートで回るのか相談する。わが家は主人は勤務先の平良から私は城辺から回り、家族みんなで訪問する家には何時頃と時間を決め合流する。そして家には何時ごろまでには帰って来ようと決めるが、毎回予定通りいったためしがない。酔っている主人のおしりをたたき家路へと急がせるのが毎回のことだ。皆さんのところはどうですか。

 私が毎回お祝いに行って感じるのは、家族の子たちへ向ける愛情の深さである。親はもちろんだが、祖父母の孫・ひ孫を見る眼差しの優しいこと。孫たちの成長を心から喜んでいるのがわかる。そして子どもの幸せな顔。お祝いに行く私たちも幸せな気持ちになる。

 さてこのお祝いは、いつ頃から始まったのだろうか。現在50歳の夫に尋ねてみると、高校合格祝いと受験の日のお弁当を家族で食べるのは経験があるそうだ。小学入学祝い・高校卒業祝い・成人祝いは沖縄を離れている間に一般的になり、今に至るようだ。なぜ、このようなお祝いが一般的になったのか私が考えるには、まず、その時代の受験体制にあるのではないかと思う。夫たちの時代の高校受験は、受験生が多く2次募集もなく、失敗すると浪人するか島外の私立高校に進学する方法があったが、島外の私立高校への進学は経済的にも負担があり、地元の高校に合格することは大きな喜びであった。また、人とのつながりが強い地域でもあり親戚なども多いという背景もあり、お祝いが広がっていったのではないかと私は考える。そして、資源や大きな企業もない宮古島では、子どもの将来を考えた親たちが「学問で身を立たせたい」という思いもあったのではないかと思う。

 私の勝手な想像ではあるが、子どもたちはお祝いをどう感じているのだろうか。どこの家に行っても子どもたちは目を輝かせている。3月に行われた高校合格祝いの時も照れながらもうれしそうな顔が見られた。私は、子どもたちが家族や親戚だけでなく、多くの人たちが自分を祝ってくれるのがうれしいし頑張ろうという気持ちになるのではないかと思う。現に小学新1年生はお祝いで夜遅くまで起きていたにもかかわらず、翌日もいねむりもせず目を輝かせて授業を受けているそうだ。多くの人たちが自分を見てくれているということが自信につながるのではないかと思う。

 盛大に行われるお祝いだが、私は疑問に思うこともある。高校卒業祝いと成人祝いだ。お祝いに行っても本人がいなく、がっかりすることがある。今では高校卒業祝いは子どもが高校の分散会に参加するので行わない家庭が増えているそうだ。私の家も昨年娘が高校を卒業した。私たち親は「やらない」と思っていたが、祖父母は「やりたい」と張り切っていた。結局、娘は分散会がなく家にいるということでお祝いをしたが、娘が家にいなかったら、祖父母の意を汲んでお祝いを行ったか今でもわからない。来年は娘の成人祝いがある。もちろん当日は娘は同窓会に出かけるであろう。祖父母はもちろん、宮崎の祖母も成人祝いを張り切って行うつもりでいる。私は主人公の娘がいないお祝いに疑問を感じていたが、考え方を変えた。成人祝いは、子どもを無事成人に育て上げた親の慰労と協力してもらった祖父母や周りの方々への感謝と今後も成人した子を見守っていってほしいという願いを込めて慎ましく行う節目の会にすればよいのではないかと思っている。

 とにかく、宮古島のお祝い事情は、子どもの成長を見守る大切な儀式だと思う。
 (なかざと ひろみ・人権擁護委員)

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