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ペン遊・ペン楽
2014年6月12日(木)8:55

夢のあとさき/岡村かおる

2014.6.12 ペン遊ペン楽

 「童話作家になりたいと思います」--小6のとき、創立10周年を迎えた小学校の記念誌に、私はこう記した。心底なりたいと思っていたわけではなかったが、文章を書くのが好きで、童話を読むのが好きだった当時の私にとっては、そう答えることが、大人に夢を問われたときのいちばんの正解だった。いくつか創作もしたが、やがて中学生になり学年が進むにつれて、童話作家への夢はいつしか消え去り、思春期以降、自らの夢をどう語っていたのか、まったく思い出せない。

 時は流れ、進学し、就職し、結婚し、「あなたの夢はなんですか」と問われることもなくなった頃、私の中で、撒いた記憶もない夢の種が芽を出し始めた--「翻訳家になりたい!」。 勤めていた会社を辞め翻訳学校に通い、毎日、朝から晩まで原書とパソコンに向き合った。作品の世界に耽溺(たんでき)し、言葉の海の中から、自分にとって光放つ一語をすくい上げて、新たな作品世界を創り上げていくことが楽しくて仕方なかった。仕事も少しずつもらえるようになり、これこそ私の天職だ!と小躍りしたものだ。

 ところが発病によりいったん頓挫。病が明けた頃、突如として新たな夢が萌芽する--「舞台役者になりたい!」。 会社勤めの傍ら、小劇団に入団し、週2回のレッスンに通い始める。演技はもちろん、呼吸や発声、朗読、ダンスなどすべてが面白くて仕方がない。台本の世界に没入し、視線から動作、姿勢、言葉の抑揚、調子など、自分の全存在を駆使して他者を表現することに私は夢中になった。そうだ、これこそが天職だ!と力強く膝を打ったものである。

 ところが、初舞台を目前にまたしても病がおそい出演を断念。どうしていつもこれから、という時に夢が奪い去られてしまうのだろう・・・。そんな嘆きが心をよぎることもあったが、ねらいすましたかのようなタイミングで訪れる病に、不信心な私ですら、天の意思や意図を思わずにはいられなかった。

 その病が明けたころ、私は宮古島に移住した。移住して間もないころ、知人からこんな言葉を耳にした。「宮古は『夢を叶える島』って言われているんだよ」。じっさい本土からの移住者である彼女は、かつては企業で事務職をしていたが、宮古で暮らすうちに、小さい頃、絵やイラストを描くのが好きだったことを思い出し、今はイラストレーターをしているという。 その話を聞いた当時は私も宮古歴が浅く、ふぅーん、そんなものか、と思う程度だったが、10年が経ち、その間に自分に起こったことを振り返ったとき、なるほど彼女が言ったこともあながち間違いではなかったと思っている。

 移住前に関西で会社員をしていた頃は、まさか自分が将来、ラジオパーソナリティーをするなどとは夢にも思わなかったし、大勢の人の前でマイクを握って司会をするなどということも予想すらしていなかった。だいたい、こうして自分の書いた文章が写真付きで新聞に掲載されるということ自体、青天の霹靂(へきれき)といっていい。

 自ら望んだ夢はどれも叶わなかったが、宮古島に来て、自分が自分でありたいと切実に願ったとき、さまざまな出会いを通して、眠っていた自分が次々にひきだされ、夢と知らずにいた夢が次々に現実になった。きっと、ひとりの人間の内には、数え切れないほどたくさんの種子が眠っていて、さまざまな出会いや経験が思いがけない光や栄養となって、眠れる種子を発芽させ、やがて色とりどりの花を咲かせていくのだろう。

 今はもう、あれになりたいこれになりたいとは思わない。ただ、生きている限り、一度も見たことのない新しい自分に出会い続けたいと心底思っている。

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