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行雲流水
2014年6月17日(火)8:55

「万国之津梁」(行雲流水)

 沖縄の歴史を語るとき、「万国津梁(しんりょう)」という言葉が好んで使われる。「世界の架け橋」という意味で、海外に雄飛する沖縄の象徴としてよく引用される。2000年、先進国の首脳が世界の諸問題を協議した「九州・沖縄サミット」の会場は名護市部瀬名にある「万国津梁館」であった。沖縄平和賞の授賞式もここで行われる。知事室には「万国津梁の鐘」の銘文を書き写した書が掲げられている

▼「万国津梁の鐘」は1456年、尚泰久王によって鋳造され、首里城正殿に掲げたもので、次のような意味の銘文が刻まれている。琉球国は南海の景勝の地にあって、朝鮮のすぐれたものを集め、中国と日本とは非常に親しい関係にある。この二国間にあって、湧き出る所の蓬莱(ほうらい)の島(理想郷)であり、「舟櫂を持って万国の津梁となす」(以下略、原漢文)

▼琉球の交易立国と、万国の共存共栄を実現することを国是として宣言したものである

▼琉球の交易は東アジアだけでなく遠くシャム(タイ)やマラッカ辺りまで展開された。その浮沈が、明国との冊封関係や薩摩の侵攻、ポルトガル、イスパニアのアジア進出等の複雑な影響を受けながら、琉球王国は400年も続いた

▼その間、各国との交流によって、多様な文化の移入や融合などの刺激を受けながら、独自の文化を開花させた

▼このたび、平良榮賢さんから母校・宮古高等学校に「萬國之津梁」と書かれた扁額が贈られた。後輩が、気概を持って広い世界に羽ばたくように、との願いが込められている。

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