宮古毎日新聞(電子板)の試読はこちらから|宮古毎日新聞社

2015年9月24日(木) 9:06

「写真の人は私の兄」/弟の下地政治さん

60年前に米軍人と撮影/再会望むもすでに他界


政雄さんとダンガンさんが一緒に写った写真を手にする弟の政治さん。右は政治さんの妻タツ子さん、左は政雄さんのめいの美智子さん=22日、平良東仲宗根の下地政治さん宅

政雄さんとダンガンさんが一緒に写った写真を手にする弟の政治さん。右は政治さんの妻タツ子さん、左は政雄さんのめいの美智子さん=22日、平良東仲宗根の下地政治さん宅

 「写真に写っているのは、亡くなった私の兄」-。1955年に、上野野原の米軍レーダー施設で働いていた元軍人と一緒に写っているのは、当時、郵便局で働いていた下地政雄さんであることが分かった。弟の政治さん(79)=平良東仲宗根=が、本紙に掲載された写真を見て連絡してきた。撮影時期は、第2次世界大戦の終戦から10年目で、政雄さんは当時22歳。政治さんは「きょうだい思いで友達が多い兄だった。60年前の兄の写真が見られるとは…」と感慨深げだった。


 政雄さんと一緒に写っているのは、米国ペンシルベニア州に住むジョージ・ダンガンさん(81)。「縁があれば再会したい」と本社に写真と手紙を送り、情報提供を呼び掛けていた。


 ダンガンさんは当時20歳。政雄さんのことをよく覚えており、送られた手紙には名前を「下地まさおさん」と書いてあった。「郵便局で働いていたと思う」とつづり、クリスマスカードを送られたこともある仲の良い友人だったと記していた。


 ダンガンさんは昨年、60年ぶりに宮古島市を訪れ、親交のあった人たちとの再会を期待したが実現しなかった。


 弟の政治さんによれば、政雄さんは7人きょうだいの一番上。宮古農林高校(当時)1期卒で、卒業後は宮古の郵便局で勤務していた。


 しばらくして沖縄本島の郵便局に移り、局長を務めた後、那覇の郵便局で定年を迎えたという。


 亡くなったのは、20年前の95年9月19日で、ダンガンさんと政雄さんの写真が本紙に掲載された3日後が命日だった。


 妻の由希子さん(79歳)は現在、長男夫婦と那覇に住んでおり、同じ写真を大事に保管しているという。「私と結婚する前の写真で、当時の米国人とどういう接点で友人になったのかは分からない」と話した。


 めいのゴメスデソウザ美智子さん(45)は、政雄さんから「ミチター」と呼ばれてかわいがられたという。「新聞を見てすぐに政雄おじさんだと分かった。背が高くておしゃれで、部屋には大きなソファと珍しい形の瓶に入ったウイスキーが並べられていた」と語った。

  • 宮古島の人口

    令和2年10月1日現在

    宮古島市 55,017 人
    27,798 人
    27,219 人
    世帯数 28,339 軒
    多良間村 1,100人
    600 人
    500 人
    世帯数 518 軒
  • 天気


  •  

    2015年9月
    « 8月   10月 »
     12345
    6789101112
    13141516171819
    20212223242526
    27282930  
  • 社団法人日本新聞協会

    • 日本新聞協会2