行雲流水
2016年1月12日(火)9:01
【行雲流水】「『言葉』でみる」
言葉は思想や感情を伝え合い、コミュニケーションをはかる上で重要だが、同じ言葉でも、その内容は使っている人や属する社会によって必ずしも同じではない。例えば「政治家」を辞書でひくと、政治を行う人のほかに、駆け引きのうまい人、策略をめぐらす人などと、いろいろの意味に使われている
▼その点、英語では、同じ「政治家」でも、聡明で公正な見識と指導力を備えた人物はステーツマンで、私利や党利を追及する、いわゆる政治屋はポリティシャンと呼ばれ、両者は明確に区別される
▼正岡子規は、ツカサ(官)をあさる政治家たちを夏の蒼蠅(アオバエ)に例えて風刺した。言うまでもなく、主権者が政治家を批判的にみることは民主主義を成立させる基本的要件である
▼数学者の藤原正彦はアメリカの外交官に「君はナショナリストか」と聞いたら、「オー、ノー」と否定され、自分の生まれた祖国の文化、伝統、自然、情緒を愛する「パトリオットだ」と言われた。日本では「愛国心」の中に両者をあいまいに含めて、時には悪用されてきた。藤原は書く。私は手あかにまみれている「愛国心」という言葉は意識的に使用しない。パトリオティズムに近い意味で「祖国愛」という言葉を使いたい
▼世の中は複雑怪奇である。詩人は詠う。「人も馬も夢をみるらしい。動物たちの恐ろしい夢の中に人間がいませんように」。「問題は紛糾してはいない。野望が紛糾しているだけだ」という言葉もある
▼言葉の中には、現象や本質をみるヒントが秘められている。