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美ぎスマ
2016年10月29日(土)9:01

【美ぎスマ】農業後継者育つ/上野地区・大嶺

 大嶺は宮古島市役所上野庁舎の東側にある地形の平坦な集落。一戸平均の耕地面積が広く比較的規模の大きい農家が多い。代表的な作物はサトウキビやマンゴー、和牛など。各農家は増産や品質の高い農産物の生産に努力と創意工夫を重ねている。大きな夢を描いて未来に向かう上地登さん(59)、上地良淳さん(60)、上地豪一さん(67)の家では父と共に働く若い後継者が育った。

天皇賞を取って/ユートピアファーム代表上地登さん
後継者元氣さんを激励


ユートピアファームをさらに発展させたいと抱負を語る上地さん(右)と後継者の元氣さん

ユートピアファームをさらに発展させたいと抱負を語る上地さん(右)と後継者の元氣さん

 「一家は祖父母、父、母、兄たち9人家族だった。学校から帰ると草刈りが日課だった。子供も親も家族が協力して目標に向かって働いた昔の生活には豊かさを感じる」。この遠い郷愁が上地登さん(59)をその後の農業の道に導いたのだろう。
 タキイ園芸専門学校を卒業後、熊本県のスイカ農家で研修した。21歳の時にUターンしスイカ10㌃を栽培したのが施設園芸の始まりだった。
 1980~90年代は宮古農業の歴史的転換期だった。1988年には宮古産野菜・果樹の本土出荷の阻害要因になっていたウリミバエが根絶。東京直行便が89年に就航しフライト農業を後押しした。地下ダムの水は1993年畑に入り、水を利用する高収益農業が実現した。
 上地さんがマンゴー栽培を始めたのはウリミバエ根絶から4年後の92年だった。最初の面積は30㌃。翌年入った地下ダムの水を利用して面積を広げ現在は200㌃(花木エリア含め300㌃)に達した。
 上地さんのマンゴーはサイズが大きくて赤紫色の高級品が多い。販売先はデパートへの契約販売が約3割、ユートピアファームの土産品コーナーと個人販売が合わせて6割。個人販売は口コミでどんどん増えているという。
 上地さんの課題は後継者の育成だった。そんな折、次男元氣さんが「自分が父の後を継ぐ」とユートピアファームに入社した。「父の技術をしっかり引き継ぎたい」と意欲を燃やす。
 父は「技術は動いて体で覚える」「自分は農林水産大臣賞を取ったが、これは全国位以内。元氣には天皇賞(日本一)を取ってほしい」と檄を飛ばす。
 ユートピアファームは2001年のオープンから15年の節目を迎えた。ブーゲンビレアは大きく育って種類も多く、色も鮮やかさを増した。宮古の野山で見られる植物も多種類そろった。熱帯果樹もマンゴーやパパイア、バナナ、アテモヤ、スターフルーツなどが実り、トロピカルムードを強く放っている。
 上地さんは「一つ一つの植物が個性的に輝いて、来園するすべての客に感動を与えるようなユートピアになるまで規模を拡大していきたい」と抱負を語った。

家族が協働経営/上地豪一さん
牛、マンゴー、花屋


宮古島マンゴーコンテストで2年連続1位に輝いた上地誠さん(左)と父豪一さん

宮古島マンゴーコンテストで2年連続1位に輝いた上地誠さん(左)と父豪一さん

 上地豪一さん(67)の一家は、家族が協力して和牛飼育、マンゴー栽培、花屋を営む。花屋の店主は豪一さんの妻操子さん。盆や正月前など花の配達が忙しい時は家族全員、配達に駆けまわっている。毎月1回の子牛競りの日は家族そろって慰労会(食事会)を行い団らんのひとときを過ごす。家族一人一人の誕生日もそろって祝うなど、にぎやかな家族だ。
 上地さんは高校卒業と同時に、農業を始めた。父から「お前は農家の長男だから将来は農業をしなさい」と言われていた。作目はサトウキビと葉タバコが中心。牛も数頭飼っていた。
 農協の青年部に属し、ピーマン(30㌃)を中心にスイカ、ゴーヤー、メロンを栽培したこともあった。地下ダムの水が普及していなかったころで、1日の半分を水汲みとかん水に費やしたという。
 牛は徐々に増やし現在は母牛25頭を飼う。一時は40頭飼っていた。牛舎の周辺には300㌃の草地が広がる。隣接する草地とスプリンクラーによる牧草の生育促進が経営を効率化した。
 目標は大きく育つ牛を生産すること。現在の出荷体重は去勢が300㌔、雌が270㌔と「1日1㌔増体」を達成している。
 上地さんの長男・誠さん(40)はマンゴー(30㌃)の管理を中心に父の牛飼いや花屋を手伝う。2014年と15年の宮古島マンゴーコンテストでは2年連続1位に輝いた。昨年の県のコンテストでは優良賞も取った。糖度は約17度と高く、果皮が赤紫色の高品質マンゴーだった。誠さんの妻直子さんはマンゴーの管理と花屋の仕事を頑張っている。
 誠さんは神奈川県川崎市の測量会社を退社してUターン。宮古土地改良区に勤めた後、農業に就いた。「作物は努力すればするほど報いてくれる」と農業の良さを話した。

母牛120頭目指す/上地良淳さん
親子で飼育頑張る


牛の飼育管理をする上地良淳さん一家(写真は手前から良淳さん、妻佳代子さん、長男真誠さん)

牛の飼育管理をする上地良淳さん一家(写真は手前から良淳さん、妻佳代子さん、長男真誠さん)

 上地良淳さん(60)は23歳の時、婚約者の佳代子さんとUターンした。早速農協の青年部に入った。翌年の結婚式は青年部が中心に取り組んでくれたという。「当時の青年部は団結が強く活発だった」と話す。青年部上野支部がドラム缶を使って風力発電機をつくり、全国の舞台で発表したら1位になったこともあった。
 畑は父から4・8㌶を譲り受けた。母牛5頭とサトウキビで生計を立てた。子供が育つと生活が厳しくなり、野菜栽培も始めた。子供3人が大学に在籍していたころは、年間に1000万円の仕送りをしていた時もあった。
 6年前、長男真誠さん(34)が後継ぎとして帰ってきた。「宮古に帰って来い」と何度も言われ「いつかは帰らないと」と思っていた。競りの日は毎回、高値で売れたことを電話で話し、暗に里帰りを誘っていたという。
 5頭だった母牛は現在70頭になり、独立経営をしている真誠さんの10頭を合わせると80頭に増えた。子牛50頭を含めると130頭を飼う。子牛は高くなったり安くなったりする。上地さんは安い時に優良雌子牛を自家保留して繁殖メス牛を増やしてきた。
 経営は農業生産法人「大海」を設立して営んでいる。上地さんの生産する牛のブランド名は法人名から取り雄子牛が「大海○○」、雌子牛には「たいかい○○」と名付ける。本土の枝肉共励会で肉質最高ランクの「BMS12」の大海ブランドがでて評判が上がった。「宮古には大海ブランドを買いに来る購買者もいるよ」と笑顔で話した。
 牛舎は母牛が60頭飼える建物を1999年度に1棟、2016年に1棟、それぞれ補助事業で導入し合計120頭を飼える規模になった。母牛は120頭まで増やすのが目標。今後の課題には増頭を視野に現在の草地7・5㌶を10㌶ぐらいに増やすことを挙げた。

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