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美ぎスマ
2017年7月29日(土)9:01

【美ぎスマ】優秀な人物誕生/下地地区洲鎌集落

 洲鎌はJAおきなわ下地資材店(洲鎌本字)辺りから入江湾(棚根地区)まで東西に長く延びる広い集落。住宅は資材店一帯に密集し一角には宮古上布の創製者といわれる稲石刀自(とぅじ)と夫下地親雲上真栄(ぺーちん)当時の下地の最高位)を祭る「真屋御嶽」がある。近くには県議会議長を務め宮古から初めて衆院議員に当選した盛島明長の生誕の地碑も建つ。6月末の人口は361人(男性175人、女性186人)、世帯数が189戸。大きい集落ではないが稲石や盛島に代表される優秀な人物の誕生が光彩を放つ。旧下地町長にも盛島明得、下里芳蔵、上地真幸、下里功の4人が就任した。産業は農業が中心。近年は農業基盤整備が進み農家に後継者が育っている。

稲石刀自、盛島明長ら/旧下地町長にも4人
稲石 宮古上布を創製


稲石と夫下地親雲上真栄を祭っている「真屋御嶽」

稲石と夫下地親雲上真栄を祭っている「真屋御嶽」

 洲鎌ツルさん(87)=洲鎌出身・上地在=は稲石から17代以上の直系子孫になる。15歳のころから積み重ねた宮古上布製作の高度な技は高く評価され、2005年には総理大臣賞を受賞した。稲石が琉球王に青色の細密な綾錆布(19舛の上布=布幅約40㌢、経糸1520本)を1583年に献上してから約430年。伝統の技術は時を超えて、現代に引き継がれている。

 洲鎌さんは糸績みから織りまでできる数少ない技術保持者。過去に全国重要無形文化財保持団体協議会賞、文化庁長官賞など多くの賞にも輝き宮古上布のPRに一役買ってきた。

 明治末期から戦前にかけた宮古上布の生産高は1万反を超す年もありピーク時は1万8000反に達し宮古の一大産業に成長した。戦後は洋装化や生産者の

州鎌ツルさん

州鎌ツルさん

高齢化などに伴い年々減り2013年度は6反にまで落ち込んだ。

 国の重要無形財に認定し、宮古上布保持団体や苧麻績み保存会を設立して後継者育成に努めているが、目に見えた成果は出ていない。

 上布は苧麻栽培や糸づくり、染め、織りなど複雑な工程を経てできあがる。洲鎌さんは製作に手間がかかる割に収入が少ないのが減産につながっていると指摘。直面する一番の課題に細くて質の良い糸を績める後継者の確保を挙げ、この課題に有効な対処策(奨励金助成強化など)の必要性を話した。

 稲石は夫の昇進を喜び「綾錆布」(上布=夏向きの服に適した苧麻製布)を琉球国王に献上した。これが宮古上布の評判を高め人頭税制(1637~1903年)のころは貢納布となった。貢納布は女性たちが役人の厳しい監視の下に製作した。

 宮古産上布は琉球から同国を支配していた薩摩藩に上納され「薩摩上布」として流通した時期も長かった。人頭税制の廃止から数年後には「宮古上布」の銘柄で売り出された。宮古上布は平和世界博覧会で一等金杯受賞(1921年)、大日本技術工芸協会の保存品として一等一級入選(1942年)など数々の栄誉を受けた。

 稲石は旧宮古神社の境内にある「産業界之恩人記念碑」に名を連ねている。
 参考文献・宮古上布保持団体発行「宮古上布~その手技~改訂版」など。

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