2017年11月30日(木) 8:54

【美ぎスマ】石門のある集落/平良狩俣地区

 狩俣の入口に600年以上も前に外敵に備えて造られた城郭集落(石垣で囲った集落)の面影を残す石門が建つ。方言では「アーヌフジャー(東の大門)」と呼ぶ。出入り口だった石門や今も所々に残る石垣は先人たちの思いや集落の歴史、石工文化を今に伝えている。現在の門は以前のコンクリート製の門の老朽化に伴い2010年、石造りの昔の形に復元された。産業は農業と漁業が中心に営まれている。

 


城郭の面影今に/クバラパーズ外敵に備える


城郭集落の面影をとどめている東の大門(アーヌフジャー)

城郭集落の面影をとどめている東の大門(アーヌフジャー)

 集落を囲む石垣や石門は、中国から渡来し14世紀中ごろには狩俣を治めていたクバラパーズ(玖波良葉按司)時代の人々が造ったと伝えられる。当時は佐多大人(さーたうぷんとぅ)率いる与那覇原軍が各村を攻め落としていた争乱の時代。狩俣にも攻め込んできたが、弓を射る人(矢手)を門に配置するなどして撃退したという。狩俣吉正氏(狩俣出身、元連合沖縄会長)は自著「狩俣民俗誌」の中で「(与那覇原軍の撃退は)狩俣の神歌でも謡われている」と述べる。


 石垣や門造りには中国の技術を使った。県道230号線の北側一帯の集落を囲んでいた石垣は1906年に撤去。石門も当時のものは小さく車の通行に支障があったため戦後間もなく取り壊し、その南側にコンクリート製の大きな門を建てた。
 昔の石造りに復元された現在の門は幅、高さ共に3・5㍍。門の上に乗せた大きな一枚岩(長さ5・5㍍、重さ7㌧)が目を引く。この石は復元計画を進めた当時に自治会長を務めていた上原正行さんが、土地改良をしている友人の畑を訪ねた時に偶然見つけた。


 上原さんは「石門は先祖の思いや歴史がこもる大きな遺産。私たちは先祖から引き継いだ遺産を大事にしながら後世に残す必要がある」と話した。
 クバラパーズは狩俣では「すまぬぬす(村の守護神)」としてあがめられている。
 参考文献:「狩俣民俗誌」(狩俣吉正著)、狩俣集落ガイドマップなど。


先祖は本土などから渡来/四島の主
村人の暮らし支える


1978年市の文化財に指定された「四島の主」の墓

1978年市の文化財に指定された「四島の主」の墓

 「狩俣には古い時代に系統の異なる三つの小集団が渡来し定住した」(東の大門の説明板より)。狩俣の人たちの話(伝説)によると3集団のうち最も古い先祖は大和(近畿辺り)の流れをくむ人々。大浦の東海岸に漂着し、そこから水を求めて狩俣に移り住んだとされる。壇ノ浦の戦い(1185年)で敗れた平家の落人もナービダ(集落北海岸の浜)に流れ着き、近くに集落を形成した。久米島から来た先祖は五穀の種と鉄製の農具を広めたという。
 争乱の時代が過ぎて仲宗根豊見親が宮古を統治していた15世紀末ごろ狩俣や池間、島尻、大浦など4集落の主長に狩俣のマヤー(屋号)に生まれた「百佐盛(ムムサムリ)」が任命された。4集落を治めていたことから「四島(ゆすま)の主」と呼ぶ。


 「四島の主のアヤゴ」では「四島の主が最初の主長になったのは、墨や筆取る業ができたから」などと謡った。文筆に優れたことも評しての主長起用だったとされる。狩俣自治会の久貝正吉会長は「読み書きに優れた四島の主の逸話は狩俣の教育に良い影響を与えたのでは」と話した。
 四島の主は平良-狩俣間の道路沿いに、いくつかの井戸を掘り、そばに休憩所を設けたことや狩俣と島尻を結ぶ「バタラズ橋」を建造したことなどでも知られる。与那覇利助さん(70)が20代目の子孫になる。


 琉球王府が直接統治するようになっていた17世紀の前半ごろ、狩俣には根井間村と狩俣村の二つがあった。それぞれに村番所(役所)が置かれ根井間村の与人(根井間の主)に狩俣生まれの根間平道が命じられた。操船技術に優れ、民謡でも謡われるなど名前の知られた人。根間系統はナービダに流れ着いた平氏の子孫といわれ、一門の男子の名前には「平」が付く。
 伝統行事は女性の神役たちが集落裏の山にこもり、祈りの儀式を行う「祖神(ウヤガン)祭」が広く知られるが現在は行われていない。儀式は公開されずフサ(神歌)は口承で伝えられてきた。49~55歳まで神役を担った花城ヒデさん(90)は「フサ(神歌)を覚えるのが大変だった。山に5回こもり合計17日間、自宅に帰らずウタキの籠り屋に寝泊まりした。ウヤーンの儀式をつくった当時の人たちはすごいと思った」と話した。


 狩俣村と根井間村は1727年ごろ一つになった。狩俣自治会は1902(明治35)年3月「トゥカツキ(十日会)」として設立され翌月狩俣字会と改称し、2002年には「自治百年」を迎えた。
 参考文献:自治百年(狩俣自治会創立百周年記念事業期成会発行)、狩俣集落ガイドマップなど 

  • 宮古島の人口

    平成31年1月1日現在

    宮古島市 54,229 人
    27,165 人
    27,064 人
    世帯数 26,857 軒
    多良間村 1,172 人
    628 人
    544 人
    世帯数 523 軒
  • 天気


  •  

    2017年11月
    « 10月   12月 »
     1234
    567891011
    12131415161718
    19202122232425
    2627282930  
  • 社団法人日本新聞協会

    • 日本新聞協会2