04/20
2024
Sat
旧暦:3月11日 先勝 癸 穀雨
美ぎスマ
2018年3月31日(土)8:54

【美ぎスマ】マンゴーの花満開/上野地区・高田集落

 高田は上野中学校前の交差点を南西から北東方向に通る道路を境に南東一帯に広がる集落。字名は新里。昔、新里村の区域だった歴史を引き継ぐ。1948(昭和23)年に旧下地村から旧上野村が分村した時に、高田集落は行政区としてできた。高田では初代村長の垣花義次氏や6~8代村長の下地一弘氏が誕生し、上野村の発展に尽くした。産業は農業が中心。サトウキビや野菜・果樹の施設栽培、和牛の飼育などが営まれている。ボイラーを炊いてマンゴーの早出し栽培を行う下地一武さんのハウスでは花が満開した。2月末の人口(高田、高田団地、高田第二団地の合計)は388人、世帯数は161戸。

下地一武さんの加温栽培/父健市さん栽培歴30年


満開したマンゴーの花をバックに父下地健市さん(右)と長男一武さん

満開したマンゴーの花をバックに父下地健市さん(右)と長男一武さん

 下地健市さん(69)のマンゴー栽培歴は、30年近くになる。最初は露地で作った。熱帯原産マンゴーの露地栽培は宮古には合わず、冬には葉が落ちて実がほとんど付かなかった。だが「必ず成功させる」と気合いが入っていた。「建築現場の足場に使うパイプで平屋のハウスを造り、雨や風をよけたらうまくいった」。上野では先駆的な自家製のハウスだった。

 下地さんがマンゴー栽培を始めたのは、ウリミバエが根絶され果樹が本土に出荷されるようになった1988年のころだった。現在は「おおばり農園」で下地さんが30㌃、長男一武さん(35)が30㌃をそれぞれ独立して経営。将来は一武さんが父の経営を引き継ぐことにしている。

 弱アルカリ性の土壌で育つ宮古島産マンゴーは甘みやトロッとした食感、風味が格別。「おいしいマンゴーづくり」は、「博愛マンゴー生産組合」に入り学んだ。

 当時は流通が整備されず売るのが課題だった。幸い那覇に住む知人が引き受けて、売ってくれた。「その収入で足場パイプの代金を返済できた」と感謝する。

 現在は妻久子さんがネットショップを開設して販売するようになった。顧客は口コミでも徐々に増え、毎年完売するほど人気が高まった。ショップのページには家族全員の写真を掲載した。「有機栽培にこだわっています」「完熟して自然に落ちたマンゴーを出荷」などと、生産にかける努力や真心を述べている。

 一武さんは上地登さんのユートピアファームで研修した。上地さん仕込みの技術は高く、第2回宮古島マンゴーコンテストでは最優秀賞に輝いた。宮古島マンゴー栽培研究クラブの会長も務めブランド化に向けた栽培技術の普及にも努めている。

 2棟のハウスではボイラーによる加温栽培を始めた。1棟(10㌃)では花が満開した。ボイラーのない通常のハウスと比べ3週間ほど早い。初出荷が早くなる加温栽培では、収穫作業の短期間集中を回避できるのが大きなメリットという。枝に咲く花の割合を示す着花率も約7割と高い。

 これから実の選抜摘果や実吊り、袋掛けなど忙しい日々が続く。一武さんは栽培管理を徹底させて糖度度以上、平均果重450㌘程度の高品質マンゴーを生産している。

 「お客さんにおいしいマンゴーを毎年届けられるように、これからも安定的に出荷していきたい」と抱負。父健市さんは「後継ぎができたのはうれしい。力の要る仕事を手伝ってもらえるので助かる」と笑顔を見せた。

カテゴリー一覧

ID登録でパソコン、タブレット、スマートフォンでお手軽に!