2018年4月15日(日) 8:54

【花は島いろ】与那覇依子さん(59歳)七和会長・樹来代表

「地域に必要な会社」目指す


与那覇依子さん

与那覇依子さん

 【那覇支社】道路の舗装含む土木工事業などを手掛ける㈱七和(事業本部・西原町)会長と、「HottoMotto」のFC店を4店舗運営する㈱樹来(本社・那覇市)代表を務めるのは、平良下里出身の与那覇依子さん(59)。創業者で父・伊志嶺恒秀氏の『どんな困難があっても諦めずに乗り越えていく姿勢』に影響を受けたと語る。


 与那覇さんは、平一小、平良中、宮古高校を経て、東京の和光大学で経済を学んだ。卒業後は東京でOLをしていたが、24歳の時に父から「会社を設立するので手伝うように」と言われ、沖縄に戻ることになる。


 父と母・朝子さんが1981年に設立した七和に入社し、経理や財務、総務などのほか営業も担当した。同社の創業について依子さんは、「沖縄本島で計画が進んでいた高速道路の建設に合わせ、アスファルト工場を作って舗装工事を請け負いたいという、父の強い思いがあった」と話す。


 設立当初は、分譲マンションや一戸建ての販売など、不動産業からスタートさせた。2年目には、アスファルト工場を新設。約10年間は赤字が続いたが、12年目に那覇市からの工事を受注できるようになったのを契機に軌道に乗りだした。


 89年には、七和の飲食事業部としてHottoMottoのFC店の経営を始める。「父はとても事業意欲があり、何にでも挑戦する人だったので、ご縁をいただいて出店することになった」と笑顔で語る。そして、95年に飲食部門を樹来へ移し、多店舗展開に乗り出した。


 恒秀氏が亡くなって3年後の2001年に、七和の社長を引き継ぐ。「毎日忙しく、受注も増えて年間の売り上げは数億円あったのに、資金繰りが苦しい状況が何故だかよく分からなかった」と振り返る。


 この状況を打破するため、経営の指針となる計画書を作ることを助言された。東京で行われていた勉強会に3年間通い、経営計画書を完成。その結果「10年かけて借金を返済し、資金繰りに苦しむことはなくなった」と話す。


 経営計画書では、父から教わった「社員を大切にすることと社会貢献」を重視し、社員が安心して働ける会社づくりを目指したという。行動指針には、①計画を立てる②実行する③評価する④改善する(PDCA)を掲げ、全員で実践。会社が安定し、社員が安心して働ける環境を生み出すことに成功した。


 与那覇さんは「地域に必要とされる会社をつくり、この会社に勤めて良かったと思ってもらえるように精一杯頑張っていきたい」と意気込みを話していた。

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