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花は島色
2018年5月30日(水)8:54

【花は島いろ】砂川恵重さん(69)北中城村教育長

子どもの個性を伸ばす




砂川恵重さん

砂川恵重さん

【那覇支社】4月に北中城村教育長に就任した城辺福里出身の砂川恵重さん(69)。「情報化社会など、時代の変化に対応できるように、総合的な基礎学力の向上に努め、子どもたちの個性を伸ばしていきたい」と語る。

 城辺小・中、宮古高校を経て、琉球大学理工学部物理学科で学んだ。卒業後は教育一筋で、2008年5月から10年4月は県高校野球連盟の会長も務めた。 

 教員を志望したのは「専門の物理と、好きなスポーツの両方できるのは教師だと思った」と語る。一方で、当時は本土復帰で教員の定数が琉球政府方式から日本政府の考え方に変更されて少なくなった時期。「就職活動は厳しかった」とも振り返る。

 沖縄工業高校定時制で1年間臨任し、美咲特別支援学校で本採用される。「(ハンディキャップのある生徒が)理解できる教育方法を見つけることができれば、一般の人にも分かりやすいだろうと考えた」といい、中部病院の医師とも連携して研究に励んだ。

 特別支援学校で教育を続ける中で「それまでは、自分の考え方を述べるだけで、相手がどう理解したかは考えなかったと反省した」と語り、「相手の内面を理解しないと教育にならない。人はそれぞれ、物の見方、考え方を持っているのがよく分かった」と強調する。

 その後、久米島高校、北中城高校、首里高校などを経て、県立総合教育センターに。学校を情報化するため、小・中・高校をインターネットでつなぐシステムを8年かけて作り上げた。「(教育の情報化で)沖縄は全国でも進んでいる」と力を込める。

 また、「ネットを使えば、東京でもアメリカでも関係ない。『離島だから』とはいえない時代、日本本土と対等なんだという時代に来ている。オリジナリティーを磨き、世界に発信できる子どもたちが出てくると期待する」と、次を見据えた。

 県高野連の会長を引き継いだのは、2008年5月。この年、春の甲子園で沖縄尚学高校が2度目の優勝を果たしている。10年の春には、興南高校と嘉手納高校の県勢2高が甲子園に同時出場した。「優勝と2校出場の、二つの夢を実現できてうれしかった」と感慨深げに話す。具志川高校と、コザ高校の校長という重責も務めた。

 改めて教育長への決意を問うと、「子どもたちには情報の収集や活用する能力のほか、独創的な思考ができる広い視野を持った人間に育ってほしい。そういう環境を整備していくのが私の務め」と語った。

 宮古には、年に1,2回は帰る。「この前、宮古で中学の同級生が飲み会を開いてくれた。一緒になってオトーリを回し、大いに盛り上がった」という。「こういうところで『バンマイミャークドー』との気持ちが出てくる」と笑顔を見せた。 

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