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私見公論
2018年7月13日(金)8:54

【私見公論】多良間 勉/なぜ? 宮古島にトライアスロンが開催されたか㊤

~NHK宮古島版「その時歴史が動いた」~

 今年のトライアスロン大会も大盛会裡に終えることができた。今年は20カ国からの海外勢を含め全国47都道府県から1700名が選抜され、最終的には1572名が出場し感動のドラマを展開した。そのトライアスロン大会も来年は35回目を迎える。多種多彩なスポーツがある中でトライアスロンほど宮古島に貢献したスポーツはなく、宮古島はトライアスロンと共に発展してきたと言っても過言ではないと思う。まさに、宮古島の歴史を変えたトライアスロンであり、50年後、100年後には歴史上の出来事として語り継がれていくだろう。

 ところで、NHKの番組に「その時歴史が動いた」という番組があった。日本の歴史上の出来事を過去にさかのぼって解説する番組である。そこで、少々無理を承知ですが、テーマである「なぜ? 宮古島にトライアスロンが開催されたか」について、NHK宮古島版「その時歴史が動いた」という視点から私見を述べる。

県高校駅伝宮古大会の成功

 実は、第1回トライアスロン大会が開催される1年半前の昭和58年11月に県高校駅伝競走大会が宮古で開催された。初の離島開催ということで県高体連関係者は心配していましたが、宮古地区高体連と宮古陸上競技協会の連携、そして宮古警察署、地区交通安全協会の協力、さらに地元住民の沿道での大声援等でこれまでにない素晴らしい大会となった。大会後の各マスコミ報道を観ると、「大成功の高校駅伝」(宮古毎日新聞)、「高校駅伝成功、関係者を労う」(宮古新報)、「大成功の〝宮古路〟駅伝」(日刊宮古)と3社とも社説で掲載している。そして、宮古毎日新聞は、~今後の誘致に見通し~例えば、国際級の選手を招待したマラソン大会や女子マラソン誘致の声もでている。宮古新報は、今後に残された課題は関係者が一体となって日本最南端のマラソンコースとして公認されたこのコースをフルに活用することである。日刊宮古は、予想以上の大会成功に関係者は意を強くしており、公認コースを利用しての大会が今後もできるとしており、今度はフルマラソンの誘致に自信を深めた等々論じた。さらに、県高体連関係者からも「安全で最高の地」、「宮古大会で定着してはどうか」など高い評価をいただいた。このように、県高校駅伝の成功で公認マラソンコースが脚光を浴び、その活用方法をめぐって議論が高まっていった。

二人のキーマン動く

 他方、トライアスロン誘致に大きく貢献したキーマン二人が動いた。一人は琉球新報社の伊豆見元一社長である。琉球新報社は県高校駅伝大会の主催団体であるため伊豆見社長は大会会長車に乗って実際に大会をご覧になられていた。そして、沿道での応援等に大変感動されたようです。大会の翌日、伊豆見社長は真喜屋明氏(当時の事業局長)に宮古に何かスポーツイベントができないか検討するように指示をしております。以下、真喜屋氏の回想録より抜粋:「駅伝コースの沿道は鐘や太鼓を打ち鳴らし、クイチャーを踊って切れ目のない応援で非常に盛り上がっていた。伊豆見社長はその応援風景を見て感激した。翌朝、出社した社長は私を社長室に呼び、一つの宿題を与えた。社長いわく『マキヤ君、宮古はすごかった。非常に感動した。宮古は燃える島だ。高校駅伝であんなに喜ぶんだから、ほかのスポーツなら、もっと喜んでもらえるだろう。キミ、宮古でやるスポーツイベントを考えなさい。これ、宿題だ。宮古の皆さんの熱意に応えるんだ』。この宿題はずっと私の頭の中にあった」。その真喜屋氏は、数カ月後に宿題を解決すべく人物に会う。

 もう一人は、東急電鉄の田中誠司氏である。田中氏は東急ホテルチェーンの責任者であった。宮古島東急ホテルはオープンして間もない時期で、宮古島への集客事業の一環としてスポーツイベントを考えていたようです。当然、田中氏は宮古島に関する情報や県高校駅伝大会の状況はすでに把握されていたことと思われる。そして、田中氏は実に絶妙のタイミングで「ある物」を持参し琉球新報社を訪れた。

 昭和58年の県高校駅伝大会の成功は多くの感動と公認マラソンコースの活用法等の課題を与えた。「感動は人を動かす」のごとく二人のキーマンを動かし、その後多くの人々を巻き込みながら、歴史の歯車がトライアスロン開催へと動き出した。まさに「その時歴史が動いた」時である。

 多良間 勉(たらま・つとむ)1952年生まれ。宮古島市西城学区出身。1971(昭和46)年度国費生として京都教育大学に入学・卒業後、多良間中学校に赴任。その後、池間中学校・宮古高校・宮古工業高校・伊良部高校・宮古高校・県教育庁保健体育課・宮古農林高校・宮古総合実業高校・宮古工業高校に勤務し、校長で定年退職。宮古地区高体連理事長・会長、宮古陸上競技協会理事長・会長、宮古トライアスロン大会記録部長・競技総務部長・宮古島市立教育研究所所長等を歴任。現在、宮古陸上競技協会顧問。

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