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【特集】新年号
2019年1月1日(火)8:57

課題乗り越え発展/サトウキビ、肉用牛、野菜好調

銀色の穂が出るサトウキビ畑は今では少なくなった

銀色の穂が出るサトウキビ畑は今では少なくなった

 宮古の農業は「雨乞い農業」の解消やウリミバエの根絶(1988年)など、課題を一つ一つ乗り越えて発展してきた。2016年の宮古地区の農業産出額は203億1000万円と200億円の大台を突破した。市町村別には宮古島市が182億4000万円(県内1位)。多良間村は20億7000万円だった。作物別にはサトウキビが102億円と全体の半分を占めた。

■サトウキビ

 サトウキビが宮古を代表する作物に育つまでの道のりは平たんではなかった。
 県が平良下里に宮古で初めてキビの苗3本を植えたのが人頭税制のころの1881年。当初は黒糖の納税(物納)を認めなかったため、普及は足踏みした。人頭税廃止(1903年)後、急速に増え、百十数年経った現在、収穫面積は約4800ヘクタール(経営耕地面積8400ヘクタールの6割)にまで普及した。
 1908年、黒糖の本土への移出額は13万円余に上り、外貨の稼ぎ頭になった。食糧難に陥った戦後、腹を満たさないサトウキビは見向きもされなかった。
 米軍が製糖を許可した(1950年)を機に、製糖産業は徐々に復興を遂げ、62年のキューバ危機の時は砂糖価格が急騰した。トラック13台分ぐらいで家1軒が建つぐらいだった。ブームの反動で下落した時期もあった。
 生産量は1970年産の45万トンがピークだった。平成に入ってからはハリガネムシやアオドウガネなどの土壌害虫がまん延したこともあり30万トン前後で推移。最近はハリガネムシの特効薬やアオドウガネ誘殺灯の効果で株出し栽培が復活し増産した。現在はハーベスターの利用が進んで収穫作業が楽になり「高齢者でもキビは作れる」と明るい展望が見えてきた。

■肉用牛

 2016年の肉用牛競り販売額は45億4600万円だった。子牛1頭平均価格は74万円。全国的な子牛不足に伴い、その後も子牛の高値が続き、18年は40億2300万円と、3年連続40億の大台を突破した。18年も子牛1頭平均価格は68万円と高値だった。
 近年は高値続きだが、過去の相場には何度も浮き沈みがあった。1990年代の初頭には牛肉輸入自由化とバブル崩壊の影響で、1頭平均価格は25万円に下落した。この時の子牛1頭の本土との価格差は10万円。その後、関係機関と農家は一致団結して肉質の良い牛の生産を目指して改良を進め価格は徐々に回復。15年の子牛1頭の価格(60万円台)は本土並みになった。
 昨年末TPP(環太平洋経済連携協定)がスタートした。農林水産省は影響について「和牛は品質・価格面で輸入牛肉と差別化されているので競合の度合いは小さいのでは」と見込む。しかし宮古の畜産関係者は「TPP対応には一層の改良が欠かせない」と話した。

■野菜

 16年の野菜の産出額は17億1000万円だった。前年と比べ2億8000万円増えた。近年は地下ダムの水を利用して、ビニールハウスではゴーヤーやトウガン、インゲン、メロンなどの野菜やマンゴーなどの果樹等、多種類の農作物が栽培されている。
 JAの宮古地区営農振興センターが取り扱った17年度の野菜の中では、ゴーヤーの販売額が3億4000万円(数量870トン)と最も多かった。
 ゴーヤーは皮にぶつぶつがあり濃い緑色の果菜。独特な苦味が夏バテを防止するとされる。ビタミンCを多く含み今ではヘルシー野菜として、全国で消費されるようになった。
 沖縄が特産品としてゴーヤーを売り出したのは、ウリミバエ根絶後だった。当初は苦味に渋い反応。JAと県が連携して販売促進活動を続けたところ、徐々に浸透した。2000年度に180トンだった販売量は現在は約5倍に増えた。
 トウガンは全国でも指折りの産地として知られる。17年度のJAの販売額は1億2100万円。販売量は661トンだった。

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