2019年11月24日(日) 8:54

【花は島いろ】濱元 誠栄さん(43歳)/銀座みやこクリニック院長

じっくり患者と向き合う


濱元誠栄さん

濱元誠栄さん

 【東京支社】がんの遺伝子治療を専門とするクリニックを2018年に東京・銀座で開院した濱元誠栄さんは平良久貝出身。宮古への愛着と、銀座という新天地で開業するのだという意気込みを「銀座みやこクリニック」の名前に込めたという。


 大切にしているのは、ゆっくり、じっくり患者と向き合うこと。「誰とでも分け隔てなく、ゆっくり時間をかけて話す姿勢は、島で培われた」と話す。「3時間待ちの3分診療」とやゆされる一般的な診療の対極を目指している。


 濱元さんは「患者に、がんを抑制する遺伝子を投与し、がん細胞の増殖を止め、自滅させるのが遺伝子治療。長年がん治療に携わる中で出合ったこの方法に、一生をささげようと決めた」と語る。


 遺伝子治療は、標準治療の手術や抗がん剤、放射線などでは手の施しようがない場合でも改善の可能性があり、現在、患者の多くは最も進行したステージ4の段階にあるという。


 治療では、患者の要望や不安に耳を傾けて精神的な負担を減らす努力を惜しまない。保険が適用されないため治療費は高額だが、関東一円から評判を聞きつけた患者が訪れる。


 医療を志したのは、久松小から久松中に進んだ中学2年の時、体調を崩して気持ちも沈みがちだったのを親身に診てくれた医師に、病気だけでなく精神面も治してもらったと感じたのがきっかけ。「自分もそんな医師になろうと思った」と力を込めた。


 鹿児島市のラ・サール高校に進学。鹿児島大学医学部を卒業後、へき地医療に従事したいと沖縄県立中部病院に勤める。救急患者を1年で1000人診るという大変な忙しさだった。その後、最新医療を学びたいと東京の杏林大学医学部に移り、茨城県地域がんセンターを経て2005年に中部病院に戻った。


 07年、県立宮古病院に移り、次いで宮古島徳洲会病院へ。そのとき、人生を大きく変える出来事が起こる。親族が乳がんを患い、主治医として担当。子どもを残して死ねないと言われ、必死で治療法を探したが、標準治療では手の施しようがなくなり親族は50代で亡くなってしまう。


 無力感にさいなまれ、長年携わってきたがん治療から一時期離れたという濱元さん。東京で畑違いの再生医療に従事していた時、遺伝子治療を知った。「標準治療で治せない患者にも使えるし、併用もできる。抗がん剤に比べ副作用が少ない。治せなかった人を治せるかもしれない」と遺伝子治療を本格的に学び、銀座で開院した。


 紆余(うよ)曲折あったが、「人の人生に影響を与えたい」「多くの人を治したい」という初志は変わらない。不安を抱え葛藤する患者一人ひとりを、心身ともに支えられる存在でありたいと誓う。