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【特集】新年号
2020年1月1日(水)8:54

舞踊を継承、子どもたち指導/城辺

琉球舞踊、宮古舞踊 練舞場主宰・神里桐子さん


師匠の神里さん(写真左)と舞踊を習っている子どもたち。右は大人に教えている母和子さん

師匠の神里さん(写真左)と舞踊を習っている子どもたち。右は大人に教えている母和子さん

 琉球舞踊・穂花会「神里桐子練舞場」は、長南の実家にある。練舞場は正面と横の壁に大きな鏡を取り付けたきらびやかな空間。午後6時半ごろ桐子さんに琉舞を習う子供と親が訪れ、にぎやかになった。

 けいこの前に子供たちは「よろしくお願いします」と桐子先生にお辞儀をした。CDプレーヤーから宮古民謡「四島ぬ主」のアレンジ曲などが流れた。子供たちは曲に合わせて手足を軽快に動かし「ヒヤサッサ」の掛け声も元気いっぱい。目線は、前でかっこよく踊る桐子先生にしっかりと向けた。親たちは「上手」などと声を掛け励ました。

 子供たちは日ごろのけいこや、敬老会、城辺ふれあいまつり、市民文化祭などでの発表を経験しながら、明るく伸び伸びと成長している。一番の目標は毎年3月にタイムスホールで開催される「こども芸能祭」への出演だという。新城玲音さん(5歳)の母由紀さんは「沖縄宮古の伝統芸能を身に付けることで、沖縄・宮古に誇りの持てる人に育ってほしいと思い、琉舞を習わせている」と話した。大人のけいこは母和子さんが行っている。

 桐子さんは3歳のころ親子一緒に亀浜律子琉舞練場の門をたたいた。芸はめきめき上達し高校から大学のころには沖縄タイムス芸術選賞の新人賞や優秀賞、最高賞などを受賞。2007年には同賞の「グランプリ」に輝いた。

 大学は県立芸大音楽学部の邦楽科(当時)に宮古高校から初めて進学した。大学では能や日舞なども学んだ。異文化の感性に触れたことが、その後の琉舞創作に役立っているという。

 長年の芸能の歩みの中では多くの公演に出演したが、中でも「2000年沖縄サミット」の際に首里城で各国首脳を前に琉舞を披露したことやサミット前年に北米で1カ月間公演を行い、沖縄をPRしたことなどが特筆される。

 大学卒業後は沖縄本島を中心に活動。2008年に実家で練場を開設した以降は、活動を宮古に移した。師匠である亀浜律子さんが家元として穂花会を開設した年に、桐子さんは同会の師範の免許状を取得。母和子さんは教師の免状を取った。

 昨年11月22日、移動かりゆし芸能公演がマティダ市民劇場で開催された。出演は八重山の「美ら百合グループ」。賛助出演が宮古舞踊んまてぃだの会亀浜律子琉舞練場。桐子さんは「鳩間節」などを舞い、そのりりしい姿に観客らは指笛や拍手を送った。

 「今後は舞踊の底辺拡大のために、観客に感動を与える舞踊の創出や子どもたちへの宮古舞踊や琉舞の継承に努めたい」と抱負を語った。

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