私見公論

2019年3月1日(金) 17:45

【私見公論】親泊 宗秀/「感動領収書」~関係各位 殿~

 マティダ市民劇場が開館したのが平成8年である。開館の「こけら落とし」は、旧平良市の肝いりで盛大に行われた。市の主催なので、現場の私たちは連日、舞台転換にかかる「間(ま)」をいかに縮めるか、ストップウオッチを睨みながら秒単位を目指し、深夜まで奮闘した。



 と言うのも、これでもかと言わんばかりに演目が盛り込まれていたものだから、一演目が終わって、次の演目に移るまでの間がかかりすぎると、全体で数十分に及ぶからだ。舞台転換の間は、10秒でも長く感じられる。これが分単位になると、その間、観客をなおざりにしてしまう。こうなると舞台裏でトラブルが起きたのではないかと、心配をさせかねない。



 現在は現場を離れているが、初代舞台担当を務めたおかげで否が応でも目と耳が鍛えられた(今では老眼とスピシャンナリドゥスガ)。舞踊をする踊り手の足さばきを見れば稽古を積んだか怠っているのかが、おおよそ分かる。重心をかけた足がプルプル震えている踊り手は、緊張したときの震えとは異なり、筋力が伴わないために、自身の荷重に耐えられない状況にあることが推察される。つまり、稽古不足の証しだろう。



 クラシック演奏会では、こんなことがあった。海外から来た音楽家のリハーサルのとき、チェロの演奏を行っているはずなのに、女性の歌声が聞こえてきた。そのとき事務所に居たので、舞台に確かめに行った。居たのは、チェロを演奏する奏者だけだった。
 不思議に思い、事の次第を関係者に尋ねたところ、弦楽器などは人の声に聞こえることがあるとのことだった。諸説あるが、人の声の音域に最も近いのが「チェロ」らしい。



 当劇場を利用する方には、保育園児からアーティストまで、幅広い方の利用がある。その中でも、最も感動するのが、老人クラブ大会で舞台に立つお年寄りだ。決して踊りがうまいとはいえない、けれど、舞台に立つまで、どれだけ練習をしてきたのか想像にあまりある。  
 舞台袖にいると、出番待ちをしているオバァーの緊張度合いが手に取るように伝わってくる。「大丈夫よ、オバァー」「練習いっぱいやってきたでしょう」と声かけをし、少しでも緊張をほぐすのも舞台担当の役目だ。



 舞台担当は、照明担当、音響担当と違い出演者の近くにいる。言い換えると、両担当は、舞台の様子を直視できない。自ずと両担当の「目」の役割も担い、司令塔でもある。
 この三位一体がそろっていないと、催し物は成立しない。互いの、あうんの呼吸が重要だ。全ては舞台を成功させるため、全身全霊を一瞬に費やす。これが舞台を預かる者の使命だと思う。ただ、誤解をしてほしくないことがある。催し物を行うとき、舞台機器の操作業務はセットではない。
 当劇場は、簡易な催し物に限り、劇場スタッフが機器操作を引き受けている。複雑な内容になると人員や機器の仕込みなどの対応が困難になるため、主催者にはイベント業者と共に入館していただいている。



 本来、舞台機器の操作は、オペレーター業務として確立された専門職であり、操作料の他にプラン料金が発生する。人気オペレーターにもなるとギャラは数百万円の世界だ。
 ともあれマティダ市民劇場の役割は、市民の文化活動の推進である。文化行政が開眼し、責任を果たしてこそ、その目的を享受できる。常に使い手に寄り添い、満足していただける館であってほしい。こけら落としに向けて、奮闘したころのストップウオッチの針は、いまだ止まってない。動き続ける針があるなら、世界一、使い勝手のいい劇場と称されても不思議ではない。



 職員として役割を果たせたかは定かではないが通算年務め、来月で定年を迎える。去り際に舞い戻って来たのは幸甚(こうじん)の至り。
 誤解を恐れずに言わせてもらえるなら、この職場と仲間に巡り会えたこと、そして多くの方との出逢いで、気づきを得ることができた。
 そこで、感謝の意を込め、諸氏に対し「感動領収書」を一筆進上申し上げます。
       (市職員)

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