04/20
2024
Sat
旧暦:3月11日 先勝 癸 穀雨
美ぎスマ
2019年5月31日(金)8:54

【美ぎスマ】地域雇用活性化に貢献/伊良部地区国仲集落

旅客機就航と共に上昇機運/下地島空港施設社
職員146人のほとんどは伊良部出身


下地島コーラルホテルなどで働く皆さん

下地島コーラルホテルなどで働く皆さん

 今年3月現在の職員数は146人で、ほとんどは伊良部出身者で占める。職場には伊良部訛りの言葉も飛び交うなど和やかな雰囲気。職員数は最近の業務拡大に伴い、大幅に増えた。同社は1979年の創業から今年で40周年を迎えた。経営は常に地域に根ざし、地域の人の雇用や活性化などを理念に歩んできた。

 友利洋子さんは「宮古の新しい空の玄関の魅力づくりに力を合わせて頑張りたい」と抱負。入社2年目の伊志嶺幹さんは「仕事場は楽しい。先輩たちから習いながらいい仕事を心掛けたい」と話した。

 同社はパイロット訓練飛行場として1979年に開港した下地島空港の施設管理や訓練支援を目的に設立された。経営は国内大手航空2社の訓練撤退に伴い危機に瀕した時期もあったが、航空会社が使っていた社員宿舎を改造してホテルにするなどあの手この手の再建策が功を奏し2016年度からV字回復。今年3月にはジェットスター社の成田~下地島直行便が就航し一層の業績上昇へ展望が開けた。

 再建策は機略に富んでいた。最初は宿舎などを改修して「お食事処さしば」や「下地島コーラルホテル」を開業した。レストランの一番の人気メニューは「もやしそば」。次いで建設業にも参入した。宮古空港でも働くなど職場を広げた。現在の業務内容はターミナルビルでの手荷物検査、清掃、警備、ジェット燃料供給、消防など幅広い。現在はバニラエア、AIRDO(エア・ドゥ)、ソラシドエアが訓練を行い、同社収益を後押ししている。

 職員数の推移を見ると、2009年が130人、どん底の時の14年が69人、18年が146人。経営再建は経営の多角化や人材活用(マンパワー)が大きな力となった。

国仲の沿革

 伊良部南区は伊良部大橋開通や下地島空港~成田線の就航に伴い「令和」とともに新時代を迎え活気づいた。南区を東西に通る「五か里道」沿線の集落は東から伊良部、仲地、国仲、長浜、佐和田の順に並び、国仲はその中心部。佐良浜線と五か里道が交差する交通の要所でもある国仲の交差点は、最近、車の交通量が増え、周辺の店もにぎわうようになった。
 国仲の歴史は古い、伊良部村史の年表には「(1500年)フナカのママラ村の首長に推される」とある。ママラは1500年の八重山のオヤケ赤蜂の乱にも参戦し、1522年の与那国の鬼虎征伐のときは首長ママラは武将として従軍した。人頭税制のころの1737年池間より20戸を強制移住させ村をつくり、与人、目差を置いた。農業はサトウキビとカボチャ栽培が盛んに営まれている。国仲の4月末の人口は506人(男性263人、女性243人)、世帯数は253戸。

カテゴリー一覧

ID登録でパソコン、タブレット、スマートフォンでお手軽に!