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2021
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旧暦:11月2日 赤口 丁 
企画・連載私見公論
2019年2月22日(金)17:41

【私見公論】菊野日出彦/風は南から―ぱいかじに吹かれて―

 年明けの1月、3年ぶりに人生の中で2番目に長く過ごしたアフリカのナイジェリアに出かけた。空港に降り立つと人々の熱気と熱帯特有のねっとりとした空気が肌に触れた。1個2、3㌔はあるだろうか、10本くらいのヤムイモを満載した一輪車が何台も街中の喧騒を流れていく。


 ナイジェリアはアフリカの大西洋側、赤道より少し北に位置する西アフリカ最大の大国である。ナイジェリアを含む西アフリカ(北部を除く)はイモ食文化の国であり、ヤムイモを主食の一つとしている。ヤムイモの世界生産・消費の約90%はこの西アフリカである。


 ナイジェリアで食されているヤムイモはホワイトヤムというもので、日本のトロロに使われるナガイモのような粘りはない。現地では茹でたものを臼と杵で搗(つ)いて餅状にし、手でちぎって丸め、魚介系の出汁の効いたシチューのようなものに漬けて食す。旨味が効いているので日本人の味覚にも合う。現地の人の話では、のど越し、旨味、ほのかな甘みに違いがあるとのこと、日本の米に対するこだわりが、この国ではヤムイモである。


 ヤムイモとはヤマノイモ属植物でイモを食用とする種の総称、日本のナガイモ(ヤマイモないしヤマノイモとも呼ばれる)もその仲間、大きな枠組みではヤムイモの一つである。このヤムイモは、欧米ではあまり馴染みがなく、先進国で唯一伝統的に食しているのが日本である。縄文時代の米が日本に伝播する以前の主食の一つであったと言われている。


 この宮古島を含む南西諸島ではかなり古い時代からこのヤムイモのダイジョが栽培されている。このダイジョの起源地は東南アジアのインド東部からインドシナ半島の辺りと言われ、そこから世界中に伝播した。東はインド洋を超えて東アフリカへ、南はインドネシアの島々、そしてパプアニューギニアから南太平洋の島々へ、北東へはフィリピンから台湾、そしてこの南西諸島を北上して北限は南九州の鹿児島辺りと言われている。


 宮古島ではこのヤムイモ(ダイジョ)は12月くらいから4月くらいまであたらす市場などで販売されているのを見かける。ヤムイモは蔓性であるため宮古島では地べたを這うように植えられている。一見するとサツマイモのように見えるが葉や茎の形状(ひだがある)などからサツマイモとは異なる。
 このダイジョは沖縄本島の中部のうるま市の石川や北部の本部半島では比較的多く栽培・販売されているが、ゴーヤなどの野菜類と比較するとまだまだ知名度が低い。


 先日、文献を渉猟していたら面白いものを見つけた。大井浩太郎氏の「沖縄の植物文化論―植物と信仰―」である。その中にヤムイモに関する記述があった。沖縄の食物文化は当初南方から黒潮の流れにそって入ったヤムイモ、サトイモ、続いてカライモの文化がめだっており、その間にアワ、ムギ、マメと続いた。そして、沖縄ではイモや穀類が伝えられるごとに、作物文化が定着するようになったと考察している。さらに興味深い記述として、沖縄と八重山の中間にある宮古島の作物文化には二通の道のりがあり、一つは直接フィリピンからバタン島、台湾東南部の高砂族の住地の作物を伝えたコース、他の一つは八重山の島々に移植されたヤムイモ、サトイモ、アワが、八重山を経て多良間島、伊良部島に移され、宮古島に上陸したという道のりがあったと推察している。


 宮古島ではナガイモが本土から輸入され、店頭に並んでいる。この宮古島に在来としてあるヤムイモのダイジョ、品質はナガイモや自然薯と比べ遜色はない。伝統的な作物として宮古島の特産品の一つとしての可能性を十分に持つ。
 このヤムイモ、遠い時代に、南方から人々とともに黒潮に乗って、ぱいかじ(南風)に吹かれて宮古島にやってきたのかと想う。
 もう宮古で過ごす年月はアフリカ生活の長さに近づいてきた。アフリカの地から宮古の地に、ぱいかじに吹かれてやってきたのかもしれない。 
(東京農業大学教授)

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