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2012年8月18日(土)22:23

勝連 浩佳さん(61歳)/民宿「勝連荘」オーナー

馴染んだ海を満喫


勝連 浩佳さん

勝連 浩佳さん

 36年前、池間島に初めてできた民宿・勝連荘。宮古島と池間島がまだ橋でつながっていないころの話だ。初代の清吉さん・秀子さん夫妻は引退し、7年前から2代目の浩佳さん・美保子さん夫妻が切り盛りする。民宿入口の外壁には「池間島行進曲」(作詞・池間昌増)がフリーハンドで15番まで書かれている。側には熱帯魚も描かれ島の様子を歌詞と絵で表している。


 浩佳さんは8人兄弟の長男。両親や弟、妹たちの面倒を見るため中学を卒業するとすぐにカツオ船に乗ったが、夏場だけの収入だけでは生活が成り立たない。家族で沖縄本島に移り住むことにした。8年後、島に帰って民宿をやってみたいという親に応えて建物だけを建てまた沖縄本島に戻った。すでに島出身の美保子さんと結婚していたからだ。「建設業の仕事や船大工をしているうちに、南方でカツオ漁が盛んになり、パプアニューギニアに4年間行ったり来たりしたことも」。その間、親がずっと民宿を営んでいたが、高齢のため引き継ぐことにした。

 沖縄本島では大工の仕事が主だったが、幼い頃より慣れ親しんできた海は、すぐにでも漁師の感覚が芽生える。島に帰ってからは毎日が海の仕事だ。漁はほとんど一日がかり。朝9時ごろ出港して夕方7時ごろ帰る。「ナガジューアカジン(オジロバタハタ)が釣れるとやりがいを感じる。ただ、近海はサメが多くて、おいしい魚ほど食われてしまう」と嘆く。また島ではセリ市がない。獲った魚を平良漁協まで運んで行かなくてはならない。「近いうちに島でのセリを復活させたい」と話す。

 今では漁師のかたわら民宿の仕事も欠かせない日課。民宿の朝は早い。近年観光客が多く沖釣り体験やシュノーケリングも始めた。朝5時に起きて準備。2・8㌧14人乗りの船に燃料を満タンにし、氷と餌、昼食などを準備する。10時ごろ出発して午後4時ごろ帰ってくる。それまでに美保子さんがおいしい夕飯を作って待っている。ネットで紹介しなくても口コミで多くのリピーターがいるとか。表の壁の歌詞は美保子さんが描いたもの。「池間島の歴史が盛り込まれているので、いつまでも忘れないようにという思いらしい」と浩佳さん。島思いの二人が支える民宿は、客が「ただいまー」とやってくる。

 勝連 浩佳(かつれん・ひろよし)1951年6月12日池間島に生まれる。17歳で沖縄本島に移住。建築業、船大工を経てカツオ漁で南方に。54歳で帰島。2012年6月に池間漁業協同組合の理事に。美保子さんとの間に2女。孫2人。

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