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日曜訪問
2015年7月12日(日)9:02

【日曜訪問】本村悠子さん(57歳)/県立宮古病院副院長兼看護部長

若者の志に期待


本村 悠子さん

本村 悠子さん

 沖縄県立宮古病院。宮古諸島の中核医療機関だ。2013年6月、現在地に新築移転した。通常で医師50人、看護師210人、診療科24、276床の総合病院の存在は、離島に営む人々にとって医療の範疇を越えた精神的支柱といっても過言では無い。



 その中で、看護部のトップとして200人余の看護師を束ねる看護部長の職責は重い。「新人当時は看護業務に慣れるのと、業務をこなすだけで精いっぱい。約3年を経て周囲を見渡すゆとりが出てきます。経験を重ねることでチームを自覚し、一人前の看護師としてのスキルを身につけます」と本村さん。


 その間の厳しい業務の日々を裏付けるように「若いころはストレスから胃を痛め、苦しんだ時期も多々ありましたよ」と本村さん。それらを乗り越えて今日があるが「スタッフの多くが結婚し、出産・育児など家庭と仕事の両立を求められる訳ですから、それぞれプレッシャーは大きいですね。その意味で家族やスタッフの協力・支えが不可欠ですし、周囲に感謝しています」と振り返る。


 その本村さんが看護師を志したのは「父の勧めです」という。本村さんの父親は芳山弘志さん。当時「博愛の村」として知られる上野村の出身。村長として地域の発展に心砕いた経験があり、娘を含めた若者たちの将来事情に明るい立場にあったが、本村さんの高校生当時、女子の就職や進路選択肢は狭いものだった。


 その中で「人に、地域に役立つ職業という視点からの勧めだったと思います」と本村さん。そして宮古高校からコザ看護学校(現在の県立看護大学)に進む。「でも、当時は志望者も多くて看護師を志す学びの道は厳しく、途中辞めたいと思った時もありました。続けられたのは父の思いがあったからだと思います」という。


 そして晴れて看護師の資格を得て、沖縄本島の病院を皮切りに看護師として歩み始める。以来、年余を経て管理職としての現在に至るが、現状について「全国的に看護師の確保が厳しくなっています。高齢化が進む一方で、逆に若者の数が減少している状況は医療の現場にとっても厳しいですね」と憂うが、「でも見方によっては今ほど若者の力が期待されている時代は無いのでは。実際、今の私たちでさえ若者の覇気に学び刺激を受けることは多々あります。その意味でも受け皿づくりに努め、若者の志に期待しています」と結んだ。


 本村 悠子(もとむら・ゆうこ)上野出身、夫・英彦さんとの間に娘2人。1957(昭和)年9月24日生まれ。

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