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人生雑感
2017年4月29日(土)9:01

【人生雑感】如実に現れている時代である今日の社会は、人間の悪魔性が

沖縄国際大学名誉教授 福里盛雄

1 今日の社会は、人間の悪魔性が氾濫している

 毎日の新聞やテレビ・ラジオ等で放映報道されている殺人、強盗、詐欺、いじめ、金銭目当ての誘拐犯等に接するたびに、これが人間のする業だろうか、と恐怖心に身を震わせる。今日の私たちの大方の人の生活は、物質的には恵まれて豊かになっている。科学の発達によって医療福祉にも大方の人は恵まれている。それに反して人の心は、栄養失調になり、人間関係も希薄になり、お互いに助け合い、慰め合うことができなくなっています。物質的豊かさより、人間がお互いに助け合い、慰め合うという人間としての生きるための大切な土台を失ってしまっている。そのために多くの人は、生きていくのが不安になり、夜の一番楽しい睡眠もできなくて、そのために睡眠薬が人の服用薬のトップの位置を維持する結果となっています。人は物質的に恵まれるとその内心が栄養失調になりがちです。

 そのような人の心の状態をよくご存じの私たちの創造者であられるイエス・キリストは、次のように、私たちに予告しています。「人はパンだけで生きているのではない。神の口からでる一つ一つのことばによる」と。

2 その対策は、人間の始まりに対する創造論と進化論によって異なる

 創造論は、人間は私たちを創造した神が、自分のかたちに人間を創造し、その鼻に息を吹き込んだ。それで人は生きることができたと説明しています。
 進化論は、人間は単細胞の微生物から進化によって今日の人間になったと説明しています。そして、人間の努力によって常に人間社会は向上に向かっていくと説明する。このような人間によって構成された社会はよい方向に改善されていくと主張するのです。この見解に対して、人間の性悪説に立つ創造論は、人間や人間社会は、次第に滅びの方向に向かっていくと主張するのです。いかに科学が発達し、物質的に恵まれても人間の心が改善されない限り社会の秩序やよい人間関係は回復しないと主張する。
 今の社会は、創造論の見解を証しているように思えてなりません。
 パウロは「私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえってしたくない悪を行っています」「もし自分のしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です」「そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだす」(ローマ7・~)と言っています。
 このパウロの心の苦悩から察すると、人間の内部は善と悪の戦いが繰り広げられていることが理解できます。その戦いに善が悪に負けるとき、人は悪魔に変身します。ですから、私たちは、絶えず自分の心の動向を見つめ、コントロールしなければなりません。人間に関する創造論は、人間は、創造者が創造した初期は完全な善性に満ちた存在として創造されました。創造者も大変満足されました。ところが、創造者の意思に反逆した罪の結果、精神的に堕落し、内部に潜む人間の悪性の働きを阻止するためのコントロール力を失ったのです。そのコントロール力を回復するためには、創造者の御心に身を委ねることだと考えます。創造論者は、人間は創造されたのだから、その創造者の存在を肯定し、その創造者の意思に従って生活することが要求されるのは当然です。それは、創造者に帰属し、創造者と密接な関係を回復し、その全能の力を習得することであります。

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