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花は島色
2017年9月10日(日)9:01

【花は島色(企業編)】企業編本島で製造高約5割を売り上げ/多良川那覇支社.

多良川那覇支社の砂川英之専務(左)と仲松茂樹営業課長(右)

多良川那覇支社の砂川英之専務(左)と仲松茂樹営業課長(右)

 【那覇支社】多良川那覇支社は、現在社員数10人。那覇市泊に事務所を構える。泡盛「琉球王朝」を主力ブランドとする多良川酒造(当時)が、沖縄本島への販路拡大を目指して1986年に那覇市辻に拠点を置いたのが始まりだ。那覇支社の責任者を務める砂川英之専務(40)は、「沖縄本島市場は製造高の約50%を売り上げる重要な市場」と語る。

 同社は、宮古島市城辺砂川に本社がある県内泡盛メーカーの中核企業の一つ。来年には創業70周年の節目を迎える。年間製造高は一升瓶換算で約70万本。紙パック泡盛や業界初となるアルミ缶入り泡盛を販売するなど、県内46酒造所の中でけん引役を担っている。

 98年には、生産効率向上を目的に宮古の第一工場に続く「第二工場」を南城市玉城に建設し、年間約36万本の瓶詰めを行う体制を確立した。

 ただ、その当時「琉球王朝」の知名度はある程度あったものの、ブランド「多良川」が飲める店は那覇市内に数軒ある程度だったという。砂川さんも、「新工場が立ち上がったことで運用体制が変化し、会社の負担が増えた。一方で売り上げは思うように伸びず、一時は工場の閉鎖も考えるほど窮地に追い込まれた」と振り返る。

 そのような状況を打開するため、同支社では「多良川」の販売強化を目指し、まろやかな雑味のない商品開発を行った。貯蔵期間を延長したり、ろ過の回数を増やすなどの工夫を凝らしたほか、社員全員で試飲を繰り返して品質の向上に取り組んだという。そして、独特の風味を生かしながら飲みやすい「多良川」を完成させた。

 営業にも力を入れた。那覇支社営業部の仲松茂樹営業課長(44)は、2000年当時「多良川」がスーパーや小売店でも扱ってもらえずにいた中で、まず酒屋に同行して居酒屋の主人へのあいさつ回りをすることから始めた。カウンターで食事をしながら、関係作りに励んだという。

 仲松さんは、「宮古出身であることを強みに居酒屋で営業していると、伊良部島出身の主人に方言で話しかけられ、言葉が分からずに怒られることもあった。しかし、それも仲良くなるためのきっかけとして自分を売り込んだ」と話す。

 転機となったのは、01年に放映されたNHKの朝ドラ「ちゅらさん」だった。全国に沖縄ブームが起こり、同時に泡盛にも火がついた。そのブームに乗り、売り上げが一気に上向いた。

 また、工場がある南城市の方々との交流を深めるために「南城育ちの多良川ブラック」という新商品も開発した。販売を地元青年会と連携するなど工夫し、商品力、人間力、企画力の相乗効果で本島エリア全体の出荷本数は1・5倍近くまで伸びた。

 砂川さんは「時代の波に乗れたのは幸運だったが、これまでの地道な営業活動が基本にあったからこそ、本島でも戦うことができた」と力を込める。

 そして、「手狭になった那覇支社と工場の移設を視野に、日々奮闘している」と話し、さらなる飛躍を目指している。

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