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私見公論
2018年8月11日(土)8:54

【私見公論】菊野 日出彦/イモのお話

~宮古島には全てのイモがある~

 この宮古島は台風銀座である。農業生産者にとって夏は気が気でないが、この台風が来ないと干ばつになるので、悩ましい。


 このような厳しい自然環境で安定的に農業を行うには、台風や干ばつに耐える作物を利用するしかない。やはりこの島の基幹作物であるサトウキビが筆頭である。台風や干ばつによる若干の被害はあるが、宮古島の厳しい自然環境に耐えられる作物はサトウキビであろう。

 実はもう一つある。それはイモ類、特に中南米起源のサツマイモ。これは、1597年に砂川親雲上旨屋が中国から宮古島に持ち帰ったと言われている。その導入時期に賛否はあるが、宮古島は日本の中でかなり早い時期にサツマイモが導入され、この島の人々を飢餓から救ったということは確かだ。

 一般にイモ類は救荒作物と言われている。痩せ地でも栽培でき、厳しい自然環境や戦乱で起こる飢饉(ききん)や飢餓を救ってきた。

 なぜイモ類が救荒作物となるのか? それは米や麦のような種子を利用する作物は、その成長過程で障害に遭うと、収量が激減ないしゼロになる。稲も麦も花を咲かす。つまり花が咲かねば実はつかないからである。一方、イモ類は地上部の成長がある程度進むと、地下にイモを作るため、生育期間中に障害があっても、ある程度の収量や翌年の種イモだけでも残すことができる。

 実はこの宮古島、ここには世界の主要なイモ類の全てが栽培されている。FAO(国連食糧農業機関)の統計では、イモ類の生産量の1位はジャガイモ、2位キャッサバ、3位サツマイモ、そして4位ヤムイモ、5位がタロイモである。

 南米起源のジャガイモは、16世紀にヨーロッパに伝わり、救荒作物として利用された。このジャガイモは宮古島では秋から栽培が始まり年明け頃から収穫される。収穫期になると島内のスーパーや市場で買える。

 キャッサバというイモは、あまり馴染みはないと思うが、「タピオカイモ」という名前で、市場などに時折ある。この中南米起源のキャッサバは、一見すると灌木のような植物である。宮古島では商業的な栽培はないが農家の家庭菜園(かふつ)で時折見かける。

 サツマイモは、宮古島では年に2回の収穫期があり、紅芋など菓子のペースト原料としての需要が高まっている。

 タロイモとは、サトイモ科の多年生作物の総称、東南アジアを起源とするものと中米起源のものがある。沖縄にある「ターム」と呼ばれるのはサトイモ属、宮古島で見るものは南米起源のキサントソーマ属である。これは乾燥にやや強いため畑地で栽培されている。

 ヤムイモは、サツマイモと同様の蔓性のイモである。「ヤムイモ」とはヤマノイモ属植物の中で食用となる種の総称。つまり、とろろなどで食べるナガイモなどもその仲間。しかし、沖縄では温帯起源のナガイモとは異なる熱帯起源のダイジョ(大薯)が伝統的に栽培・利用されている。これはミャンマーやインド、タイなどの国境地帯が起源地と言われている。アジアの辺境の地から南太平洋やカリブ海の島々、そして西アフリカで主食として食べられている。日本での栽培は、琉球列島から北上し、鹿児島辺りが北限である。

 ダイジョはとろろでも食べられるが、煮たり焼いたり、揚げて食べることもできる。イモの中が赤い品種はアイスクリームにも混ぜられ、フィリピンではウベと言われている。

 宮古島では、大規模な生産は行われていないが、時折その栽培を見かける。年配の方に聞くと、昔はもっと栽培されていたとのこと。あたらす市場では「やまいも」という名で冬場から春先に売られている。

 ヤムイモは蔓性の植物であることから、普通は支柱に蔓を這わして栽培する。しかし、台風の多い沖縄や宮古島ではサツマイモのように地面に蔓を這わして栽培する。故に宮古島でも栽培が可能な作物なのである。

 イモは救荒作物として世界を救ってきた。このヤムイモも宮古島の農業を救う作物の一つになり得るだろう。
 

 菊野 日出彦(きくの・ひでひこ)1971年生まれ。神奈川県横浜市出身。1996年東京農業大学卒業後、鹿児島大学大学院入学、2002年鹿児島大学で博士号取得、2003年からナイジェリアに所在する国際熱帯農業研究所(IITA)でヤムイモ研究者として勤務。2012年IITA退職後、東京農業大学宮古亜熱帯農場で教員(准教授)として勤務。現在は宮古亜熱帯農場副農場長、ヤムイモやマンゴーなどの熱帯作物の研究を行う。

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